ぼくは手話は必要ないと言った意味 | きこえについて

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※アメンバーはやり取りのある方のみにさせていただきます。メッセージお願いたします。


まだ次男が2歳~4歳くらいの頃。
上手く聴き取れない時や新しい言葉を覚える時には手話があった方が確実に言葉が入りました。
手話でイメージと概念を作って音声の言葉を入れる感じでしょうか?

明日、明後日、明明後日。
さっき、ちょっと前、この前、あとで、そのうち、みたいな微妙な時間の言葉も手話だと分かりやすいので、見て聞いて覚えるを繰り返ししていました。
発音が曖昧な時は指文字がとても便利で確認のためによく使っていました。

しかし、言葉を覚え、音声だけでやりとり出来るようになると自然と手話は使わなくなりました。

この間「ぼくは手話は必要ない」と言っていました。
詳しく話を聞いてみると。

「ぼくの周りにいる人は誰も手話をしないよ。ぼくだけ覚えたって意味無いよ。大人になって、手話を覚えないといけない職業についたら覚えると思うけど」

う〜ん。
確かにそう。
いや、その前に手話を覚えないと出来ない職業ってなによ?と聞いてみると。

「手話通訳者とか?」
と次男。

なるほど。しかし、どちらかというと通訳が必要なのは君の方じゃないの?(^_^;)
でも、君がなったら聴こえない人と聴こえる人どちらの人の気持ち分かるからいいかもね。なんて話してみたら、

「あのさー。ぼくは人工内耳してて難聴なんだよ?聴こえる人のことなんて分からないんだよ?」
と言われてしまいました。
本当にそうだね。
安易なことを言って申し訳ない気持ちです(^_^;)

聴こえる人の気持ちも分からないし、完全に聴こえない人の気持ちだって分からない。

彼の聞こえはどっちにも属さない。
だけど、どちらかと言えばコミュニケーション方法は聴いて話すこと。
健聴者と同じです。

普通の小学校、聴こえる人達に囲まれて生きているので、手話に出会う場面はほぼないです。
それはインテした難聴友達も同じ。

聾者は人工内耳が嫌いですからね。
(むかし、ちょっとトラブったので)
手話を学ぶ場所もないです。

ということで、小学生の今、手話は彼が人工内耳を外している時に母が使うだけとなりました。

この先、学びたいとまた思うことがあるのかな?せめて指文字だけでも覚えていて損はないのになと思います。