賛否両論あると思うのですが、うちは難聴発覚当初、どん底のなかで自分なりに考えて息子に手話を覚えさせることにしました。
聴力は100デシベルを超えてましたので、補聴器での音声認識はむりだろうと考えました。人工内耳の手術をして効果がでるまで、意思疎通ができないのでは親子共々ツラいので、やっぱり手話があった方が
いいと考えました。
それから、手話の本を図書館で借りてきて、二歳近くなる子供に合う手話を探しまくり・・・
でも、なかなかないんですよね。f^_^;
幼児の生活にかかわる手話はあんまりのってないです。
そんなとき、ろう学校で良い本をみつけました。
「楽しい手話~親子で会話~きこえない子を持つ家族のために」
「幼児手話辞典こどものしゅわ」
どちらも足立ろう学校編集、足立聴覚障害者教育研究会発行です。
どちらもすごくためになりました(・∀・)
手話で接するようになって次男くんは「ものには名前があるんだ」「このひと、ママっていうんだ」「いつも一緒にいたこどもはお兄ちゃんていうんだ」と、
ひとつひとつ、驚くほどのスピードで手話を覚えていきました。
最初に使った手話は、ぼうし。
きちんとした手話は幼くてできないので、ぼうしを指して頭をポンポンたたいてました。
とてもかわいかったのを覚えています(^-^)
あとは名詞、動詞をおもに覚えて、とてもよく使っていました。
ものに名前があると気が付くと、今まで興味がなかったアンパンマンがだいすきになりました。
アンパンマンの手話をしながら母の口をまねて、声なしでぱくぱく動かすのです。
声がないので、やっぱり補聴器では聞こえないのかなと思いました。
関係ないときは常に、あ~あ~と声は出ていたのですが・・
次男くん、初めて「おなじ」の手話を理解した時の様子は忘れられません。
ヘレンケラーが水という言葉を覚えた時みたいな感じでした。(そうかなって思いますf^_^;)
本人のなかではすごい衝撃だったみたいです。
絵本をみて,みかんをみて同じ。
同じものをさがしては「おなじ」をしていました。
それを何度もうれしそうに繰り返すのです。「みてみて、これも同じだよ!」という様に。
人さし指と親指をちょんちょんくっつけて。
目を輝かせて。
そのとき、ああこの子はずっと言葉が欲しかったんだ。
そして、今、この子のなかで「同じ」の手話を理解したことで、名詞、動詞以外の言葉覚えたことで、言葉をわかりはじめたんだなと思うと、すっごく感動して泣いたような記憶があります。
二歳と三か月くらいで。
次男くん、手話と一緒になんとな~く声をだすようになったのですが、すべて母音。
パパ、ママも「ああ」
おうち「おうい」
お兄ちゃん「おうい」
自分の名前「あぶ」
手話がないとなにを言っているかわからないf^_^;
このころ手話の語彙、自分でできる80くらい。言えるのは40語くらい。
補聴器をつけ始めて半年すると、手話付きで、2語3語文が言えるようになった。でも母音中心。
2歳5か月。
人工内耳の手術の時、手話で、「痛い、きもちわるい」と教えてくれて助かったです。
人工内耳をしてからは声だけで理解できるものには手話を外していきました。
だんだんと、手話を外して耳で聞いて言葉で教え。
トップダウン法です。
わかるところは音声だけで、初めての言葉は手話付きで教えました。
こちらもなにげなく手話を使わないで話しかけることも多くなって、気が付けば、
手話から音声言語へ移行していきました。
そして3歳でろう学校幼稚部に入るころにはすっかり手話が抜けて、音声のみになっていきました。
しかし、すべての手話を忘れては同じろうの友達との意思疎通ができなくてこまってしまいます。
そこで、入学を機に本格的に手話をまた使いはじめたのですが・・・・
上達するのは親ばかりで、子供はもう手話をなかなか使ってはくれません!(´Д`;)
いくら手話をしてね!と言っても、手話してくれません(´_`。)
上手く手話で返すことができません。
自分では使わないけれど、手話を忘れたわけではないので、理解はできます。(忘れてしまったのもありますが)
自分が聞こえない状態の時は「手話やって!」と言ってきます。
おふろやプールで聞こえないときに、こちらが手話ではなしかけると、ふつうにしゃべって答えるので、どっちが聞こえない人なんだか周りの人はわからない状態です・・・
手話は同じ障害を持つ友達とコミュニケーションをとる為にとても必要。
だから、手話は忘れてほしくはないです。
でも、いまの次男くんは使わないことを自分で選んだのでしょう。
口が先に出て、ぜんぜん手がでない。
それでいいのか?と思うこともあるのですが、また、彼が必要と思えば親がなにも言わなくてもやるのでしょう。
それまで、親だけが手話を使う不思議な状態がつづくのかなと思います。
まとまりがなく、すみません。