溺れる者は我を掴め!

溺れる者は我を掴め!

ブログなんて面倒くさいよ

プールで監視員の仕事をしてる。
応急手当ては赤十字で学んでいる。
子どもの鼻血には慣れている。
小鼻をつまみ(自分でつまませればラク)水泳帽やゴーグルを外してうつむき加減で安静にし5分間。大体これで止まる。止まらない場合はおでこやうなじあたりに保冷剤を当てて冷やす。
ティッシュなどは詰めない。
当たり前のこと。
それが、、、、場所が変わり立場が変わると不思議なことになる。
「そこじゃなくて骨の上を押さえてね」と、コーチにおさえる場所を変えられる(汗)えっ?骨のところですか?そうです。へぇーそうなんですね、
ベテラン風の監視員はホースの水を首筋や頭から掛けて冷やしている。私だったらそんなの嫌だなあ。
冷やすほどの鼻血でもないし、冷やす目的なら保冷剤ないのだろうか??
3年目の鎌倉、子ども水泳教室ここでは私はコーチの見習い。プールにはそこの監視員がいる。
どうせすぐ止まる。どっちでもいいことは争わない。こんな素敵なプールで今年も子どもたちと過ごせたんだからね。

母が4月の中頃に出先で転び、救急搬送され入院手術。高齢者によくある大腿骨骨折で、ボルト2本で折れた骨を繋ぐ手術とリハビリのため数ヶ月留守になることが決定。

このところ母の家はゴミ屋敷のようになっていた。後でやると言いながら溜まっていく書類や洗濯物の処理、何かに使うと言ってとってある大量の箱類、袋類、まだ読んでないと捨てられない新聞、広告、通販のカタログ、そして通販で購入したものの山、未開封の段ボール、定期購入の化粧品しかも数種類、大量の洗剤などのストック、、、。

テーブルはかろうじて食事ができるスペースがあるだけ、ものが乗っていて座れないソファー、掃除されない床は落ちたご飯粒を踏んだまま歩くからスリッパ無しでは歩けない。

最近は父がほぼ寝たきり状態で好きな図書館にも行けなくなってしまったらしいが、もし父が具合悪くなったとしてもこの家で介護は無理だ。だからといって、片付けさせてもくれない。何かあってからでは遅いから今のうちに片付けようと、何度言ったかわからない。

それでこの事態。

母がしばらく帰ってこない、一人になった父のサポートは必要。チャンス!とばかり母がいなくなった隙に大々的に片付けさせてもらう。

遺品処理のごとく仕分け、捨てるものは2トントラックの荷台一杯。数十年使ってない食器も、ホコリだらけの造花も、油まみれの調理器具も処分。プロの手で掃除してもらい働きやすい家となり、父の生活サポートもしやすく、楽しくなった。

家が綺麗になると、今まで半寝たきりのような生活をしていた父が変わってきた。自分でご飯を炊く、毎朝お風呂に入る、さらには外に出て好きなものを買ってくる、バスに乗って図書館へ行くまでに。今までの具合の悪さは身体的というよりは精神的なものだったのだろう。母が入院し、環境が変わったことで改善されたのだ。

さて、それからひと月、優雅なサポート付き独身生活(笑)を謳歌していた父だが先週近所で転び同じく左大腿骨頸部骨折→母と同じ病院で、同じ手術。

母はリハビリ病棟でまだまだリハビリ生活、父は手術を終えて同じくリハビリ病棟に移動の予定。

コロナの名残で面会にも厳しいので全て病院にお任せ。

私は父のサポート生活一休みで楽ちん。LINEや電話でやり取りしてボケないように気をつかう。

頭を打ったりもせず、内科の難しい手術ということでもなく、がん治療のような選択肢に困るような状況でもなく、楽観できる将来。

今は二人が家に戻った時暮らしやすいよう、もう少し片付ける。足の悪い二人が暮らすんだからね。

東京へ、新しいバイクを迎えに。

最初にこのバイクの存在を知ってから、カレンダーを見ればほんの半月。
そもそも、友人が買い替えるバイクを探していたのに、私がはまってしまった。
濃い半月だった。
問い合わせては悩み、諦め、諦めきれずにいるとなぜか目に入ってくる情報などのすべてが、運命に思えて仕方がない。
kawasaki w175
インドネシアからやってきた旧車の新車。今時キャブ、チョークで始動。リザーブの切り替えあり、ガソリンメーターなし。もちろんスピードメーターはアナログ、時計もなし。原点回帰?レトロバイク。なかなかの歳になってきた私にぴったりだ。
滅多に走らない東京の道、でもうちを出て3回曲がるだけでたどり着くバイクショップ、母の実家のある品川区、パーツの取り寄せは父の職場だった大田区と、とても縁を感じる。
そういえば、高校生の時に知り合ったインドネシアの人が教えてくれた挨拶「スラマパギー」を覚えてる。
ナシゴレンもサテも大好きだ。
今まで一緒に走ってきたBIGBOYから乗り換え、33キロ走って辿り着く我が家。
乗り慣れないバイク、でも横浜に入ったあたりで馴染んできた。
ようこそ!w175。
まだバイクに乗りたい私、これからよろしくお願いします。

追記、インドネシア製だけどタイへの輸出用だから、説明書はタイ語だけ、、、でもまあKawasakiだからきっと大丈夫。

昨年「賀状じまい」で縮小したので、こちらから出すのは親戚と義理のある知り合い15枚となった。あとの友達や後輩などは、返信で送る。

あまり会わない旧友などは、年末に慌ただしく書くよりも届いた賀状を見てからの方が楽しく書ける。

5月に訪れた、奄美大島で撮った写真を加工して作った賀状。せっかく作ったのでメールやLINEで来る年賀メッセージの返事用にもこれを使う。



10年前は夫の自転車だったこれ、数年前から私が乗ってる。
坂が多く、ビビり走りだからブレーキ交換も頻繁、雨ざらしだからサドルもワイヤー等も定期的に交換、で、今回はチェーンと共にスプロケットも全部交換♪
新しい自転車を買うか、修理して乗り続けるか迷ったけど、これでよかった。
気になってたギアチェンジの時のカラカラ音も、何かが引っかかる感じの異音も無くなり、乗りご
こちは新車!
もう少し涼しくなったら、これで少し遠くへ行こう♪

「先生見て!」「先生見て!」できた喜びを心のまま表現する、子どもたちの光った笑顔が忘れられない。不安そうに曇った顔が、自信に満ちた表情にあっという間に変わる、子ども水泳教室。

鎌倉の、小中学校共用プール。

歴史香るこんな素敵な環境で、5日間の夢のような時間。

今までより少し泳げるようになったあの子たちは、どんな夏休みを過ごすのだろう?

水泳指導は素人のなんちゃって先生だけど、この経験で私も自信と喜びをもらった。

鎌倉の子どもたち、また来年会えるといいな。

 

 

久しぶりに水安の講習会場にいる。

水安=「赤十字水上安全法救助員養成講習会」

最後に受けた講習は14年前

一度資格を取っても3年経つと切れてまた同じ講習と検定試験を受けて継続していかないといけなかったものが、この最後の講習会のあとシステムが変わり、3時間の講習を受ければ継続できるものに変わった。それから14年、今度は資格有効期限が5年に延びたもののまた同じ講習と検定試験を受けないと資格を維持できないようになってしまった。

7時間を3日間、室内プールでの講習なので日焼けや寒さの心配は無いし、深くない市民プールでの開催なので少し気は楽だが、14年経ってる!14年前の私に、14年後にまたこれと同じ講習を受けるよと言ったらどんな顔をするだろうか?

先週うっかり風邪をひき、何とか持ち直した体調で、晴れたお出掛け日和を三日間捧げた講習も今日で終わり。

いくつかの検定は終わり、ゴールが見えている。

14年前と同じことができた、細々と続けていた受講資格維持の努力が意味のあるものだったとわかった事が嬉しく、きっとこれからの私を助けてくれる。

5年後、この資格はまた切れる。

また同じことができるか???

今はとにかく少しでも長く、元気で今と同じ場所にいたいと思う。

 


 

4年ぶりに南国の海にいる。

沖縄より安く非日常を楽しめる海外の海を今までは選んでいた。

毎年春くらい、コバルトブルーの海で熱帯魚と泳ぐのが楽しみだった。

最後はセブ島、また行きたいと思っていたらコロナ、円安、そのうちパスポートも切れてしまった。

身近な海での楽しみ方も知り、県内で結構満足していたが、今回、素敵な場所を知った。

奄美大島

ここにいます!

ピーチで往復2万円。成田までは長いけど、外国へ行くと思えばね。

旅行支援で三泊の宿代から15000円オフ、プラス6000円のお土産クーポン。

島内はレンタカーで自由に行動。仕事が休めれば、こんな極上の時間が過ごせる。

暖かい島で色々な奇跡と、自然、人との関わり。

ウミガメと泳げた事。

綺麗で安全な海で泳いだ事

全てに感謝したくなる。

いいとこ見つけた!

世界自然遺産!!

これからの私の元気の元。

 

 

 

ゴールデンウィーク中の平日、気になっていた場所へバイクでピュー。
その1、荒井沢市民の森。
我が家から直線距離で4キロ(笑)この看板の前にバイクを止めて、ぐるりと山道を歩いて戻って来られる30分ほどのコース。山頂には住宅地を見下ろせる展望台、蛍も見られるという綺麗な小川、整備された遊歩道。鎌倉湖に抜ける分かれ道もあったが戻る事を考えると躊躇。
その2、たい焼きのこたろう。さっきの山道を歩き続けて鎌倉湖側に出たとして、バイクで移動。
テレビで紹介されていたので並ぶの覚悟で行ってみたら、誰もいない店の前で店主が近所の人と雑談。遠くの道端にバイクを置くところを見ていたのか、バイク見せてよ、ここに置いていいよと店主、行列の店の前でこんな贅沢な写真が撮れた。
奈良からやってきた、ユニークな店主。注文をきいてからコンロに火をつけ、私だけのためにたい焼きを焼いてくれる感がたまらない。そのあと次々とお客さんが来て、自分の幸運を噛みしめる。焼き上がる10分ほどの間の、店主や他のお客さんとの会話も楽しく、まるで遠くを旅行しているようだった。焼きたてのたい焼き、薄焼きで外パリ中モチ。お手製の小豆あんは甘さ控えめ。
バイクに乗れば30分ほどで帰宅。まだまだ人生に開拓の余地があるヨロコビを感じた。

昨年は初めて大河ドラマを全部ちゃんと観た年。鎌倉は子供の頃から親しんでいた場所だからか、登場人物の名前も場所の名前も聞き覚えがあり想像できるので観ていて楽しかった。社会科の成績は悪かったが、鎌倉の歴史のにわかファン気取り、切り通し巡りを始めた。

初詣は横浜と鎌倉をつなぐ「朝夷奈切り通し」を踏破。

今日は逗子から鎌倉へ「名越切通し」を歩いた。

初めて降りた「逗子駅西口」20分ほど歩くと、あれれ、そこは逗子マリーナへ行く時に通る踏切。


懐かしいなあ〜バイクでもよく通った道だ。

地図を見て、見当をつけて来たが、ここで良いのか迷う。「名越尾根道」とあるが、、、良い所へ通りかかった地元民らしいおじさんに確認。「木が倒れたりしてるけど、まあその靴なら歩けるだろう」とのこと。この、左の急斜面が、道?驚愕!


けもの道のような急斜面を、植物に捕まりながら進む。おじさんが言う通り、所々に木が倒れていて、その下をくぐったり乗り越えたり、ホントに道??心細くなるタイミングで案内板が出てくる。


遭難、という言葉が浮べば眼下に久木ハイランドの街、なんだ、街の裏山だったのか!

反対側に目をやると、今歩いて来た横須賀線の線路も見えるじゃないか!かなり歩いた気がするが、地図で見ればほんの500メートル四方位のエリア。


まもなく、ハイキングコースらしい山道に出て気が楽になる。出会った人に聞き、もっとまともな道を歩くことができるコースも確認。「パノラマ台」の看板、急な階段をせっかく登って来ても行き止まりだが、登って来た甲斐のある景色!鎌倉の海の向こうに江ノ島!次に来るときはぜひここでオニギリを食べたいと思わせるベンチ。


折り返しを過ぎ気持ちが楽になってゆっくりと史跡見学、まずは「お猿畠の大切岸」


「まんだら堂やぐら群」は公開時期を過ぎたので金網越し。次の公開時期は4月中旬以降の土日月とのこと。ぜひ間近で観たい!


そして「名越切通し」


マツコだったら通れないかもしれないスキマ!


天気が崩れることもなく、遭難することもなく、無事、鎌倉市の大町へ入り、時計を見ればまだ家から出て3時間を過ぎたくらい(笑)

道すがら、中央市場で久しぶりにフォカッチャを買いお土産に。

土曜の鎌倉、昼食を摂るのにお店はどこも行列。こんな時は駅ビルのサイゼリア。地元民らしいお爺さんがプリンを食べている隣で、たっぷりの野菜とたんぱく質をお安く摂取。小洒落たカフェではこうは行かないもんね。

次はぜひ友人を誘って一緒に歩こう。けもの道でなく、ちゃんと整備された、楽な方の道を選んで。