やりたいことを
やるというのは
簡単なようでいて、
難しい、

こともある。

人生は時に
やりたいことができるほど安易な
設定になっていないことがあるからね。

なぜなら、
ひとそれぞれカスタマイズされれているから。

ひとの簡単は自分の簡単ではないし。

すごい奥底の方では
今いる自分も
やりたいように
いきているのだけど。

その認識でおわっては進化は起きない。

ただ、難しいは旨味がある。
そして、難しいは
実は簡単である。

最短の道でゆくもあり、
回り道で奥底で楽しむのもあり、

ひとそれぞれ、、、、

ただし、
ぼくがここであきらめたら
ぼくの宇宙はおわり。

べつにおわりがわるいってわけじゃない。

またやり直しってなだけだ。

やりたようにやったって
くりかえすものもいる。

それが、どこまでが自分かの認識がなければ
ただのジタンダにすぎない。
楽しいようでさほど楽しくないたのしみ。

踊ってぼくが想う自分を壊せ。

どこまでが自分か?

自分の輪郭がこわれ
ソフトシェルな自分がひろがる。

絶えず、脱皮し、

過去の自分がやりたいとおもっていたことなんて
ぜんぶ排泄だなって
想いもしつつ、、

それもまたわるくないなんて
想いもして、

やりたいことをすることを訴える輩の
虚しさをも飲み込んで

ゲップする。