高校でニュートン力学を勉強した時から、
運命は全て決まっていると思っていた。
 

それは、
どんな現象も初期条件が定まれば、その後は物理法則に従い、
ただ順々に(ドミノ倒しが広がるように)流れていくのみだから。
 

実験用の小箱の中は同じ初期条件で実験をすれば当然同じ結果になり、
であるから、箱を取り払ったこの広大な世界や宇宙でも同じことが言え、
共通の物理法則が広くあまねく支配する限り、それは間違いない自明なことだった。
 

宇宙が始まった時から、その初期値(揺らぎの分布)により
その後の宇宙の栄枯盛衰、星の形成、一個の人間の人生まで全てが決まっている、というわけだ。
 

生体を動かしているものが物理や化学(煎じ詰めればそれとて物理現象)である限り、
思考や行動、選択、意思決定もまた、我々は自由意思で行動しているかに見えて、
すべて初期条件からはじき出される宇宙の進行過程の筋書きに過ぎない。
 

その様な中で唯一の救いは、
この世界や宇宙はあまりに広大で非線形的なので、我々は如何なる手段を用いたとしても計算や予知が不可能であり、
つまり、解らない。
(仮に神のごとき計算力を持ったコンピューターがあり、正しいモデルと初期条件を入れればこの宇宙の全てや個人の一生までも再現できるだろう)
 

我々の不完全さに端を発するこの
「解らない」
という1点にすがりながら、
人生を自由だと思い、架空の選択肢を広げて、選んだ気になって生きて行けば良いのだろう。
 

そう、実は人生はそもそも
最初からストーリーの決まったRPGが進行していくだけであり、
願わくは自分はその中の勇者の役柄であってほしいと願うことしか出来ない。
 

しかし実際的には、未来が分からない限り、決まっているか決まっていないかはどちらでも良く、
つまり「決まっていない」と考えて差し支えない。
 

そして、その方が活きていく上で都合が良い。
 

そう解釈の落としどころを腹の中に持っていた。





そして
見るべき物質の最小単位は、原子から、量子に移る。
 

量子力学の登場だ。
 

宇宙を構成する基礎単位である量子は、とんでもない代物だった。

挙動自体が、確率的であり、手品であり、インタラクティブなのである。


我々が「非科学的だ」と退けてきた異物が(事実、アインシュタインは認めなかった)、物理の根底に堂々と胡坐をかいているのである。
 
 
すなわち宇宙は、根底から不確定なのである。
 

初期条件によりミクロ(我々のような些細なもの)までが支配されるほど宇宙は面倒見が良くはなく、そこそこ大雑把なのだ。

そして、そのミクロが大雑把であることは、その累積の先にある大未来も確約されたものが無い、ということなのだ。
 
 

我々には人生の裁量が十分あるのかも知れない。
 


そうか
 
人生はドラゴンクエストではなく、
ロマンシング・サガなのだ(中途半端)。

というのがこの数年のひらめきだったりする。