向上したいのか、
苦しみたいのか、
「努力」と「苦しい」は一定の相関関係にあり
「努力」と「向上」も一定の相関関係にある気はする
(個別ではなく集団の統計的に)
とすると「努力」を仲介として、
「苦しい」と「向上」も相関関係にある、
と解釈するのも無理そうな話ではない。
だけれども、
「相関関係」であっても「因果関係」ではなくて。
つまり、傾向として増減の挙動に関連性は認められそうだけれども
直接的な結びつき(因果)は無い。
この辺を省略してしまって、
「向上」を目指しているはずが、「苦しい」を目指していることもある。
本来の目的である「向上」を指標として、
そこをモニタリングしておく必要があるんだけども、
「苦しい⇒向上」を因果関係として捉えた結果
「苦しい」を指標とし、そのインプットのみに満足している場合もある。
さて、
頑張れば、絶対身に付く。
この時、
「頑張る」は
暗に「苦しむ」とイメージとして読み替えられやすい。
しかし読み替えるべきは
「努力」「工夫」としてであって、
「苦しむ」の要素は本来不要だと思っており。
(使うとしても、全て終わった後に「あれだけ苦労したんだから」という勇気づけだ。)
勉強、苦しむことを強いなくて、良くない?
いや、昔も今も勉強はお仕着せの部分も実際多く、だからもう苦しくても仕方ないかも知んない。
でも学ぶことの喜びまで嫌になってしまったらほんと人生勿体ないよなぁと、ようやく気づき始めた。
とか言う自分も学生時代勉強は総じて苦行だったが、そういうときの親のスタンス大事だなと思ったりして。