物事を進めていく上では、クリアするべき課題が必ず出てくる。
その時に
その課題に伴う「困難を乗り越える力」もとても大事だけれども
その課題をそもそも「困難にしない」
という力(観点)も大事だなぁと思っている。
大抵の困難は、なるべく上流で、早く手当てが出来る限り、小さいうちにクリアすることが出来る。
なので、それよりもさらに上流で、困難の芽が出来ることなくサラサラ流していくということも可能なことがあり、その方が効率が良かったりする。
野球の守備でイメージするなら、
ギリギリの球が来てもファインプレーをしようとダイビングキャッチのトレーニングをするのではなく
ファインプレーを”する必要もないように”、
予測、位置取り、打球判断、初動スピードを上げるトレーニングのようなもの。
つまり
そもそも難しいことをしなくて良いような不断の小さな努力をしておく。
これは
とても地味である。
気づかれにくい。
人からの称賛もない。
従って手ごたえもない。
でも一番有効。
であるにも関わらず、社会に於いてここに力をしっかり力を割り振れる人は案外少ない気はしてる。
それは
ファインプレーが分かりやすくカッコ良いし
脚光を浴びたい
人から称賛されたい
そういう承認欲求に引っ張られ、
それが時々満たされるギャンブル性に満足しているから
それで良しとしている側面もある。
そういう満足感があるゆえに、目的へのアプローチとして最適かどうかのモニタリングがされていないためだったりする(いわあゆる手段の目的化である)。
そういう地味なことをする人が少ない分、
見る人が見れば、逆に特異性が光ったりする。
知らんけど😆
写真は、
「全米 春のファインプレー感謝祭 ~ポロリもあるよ~」
のイメージ画像。
を作ってみた。
※この場合のポロリは、エラーのことですので、不埒なご期待は禁物です。