馬を水辺に連れてくることはできるが、水を飲ませることはできない。
この言葉は結構好きなんですよね。
自分が出来るのは、水辺に連れてくるまでであり、
その先に水を飲むかどうかは馬次第で、
つまり自分の力の及ぶ範囲ではない。
そういう切り分けは大事。
「だから、所詮できることが知れてる」
というような、ネガティブな意味ではなく。
自分がやれる部分、相手次第な部分
この切り分けが出来ておかないと、
相手の尊厳に平気で土足で踏み込むことになったり、
逆に、自分が出来ることをしなかったり。
ここのツマミの調節は、相手との関係性によるし、
また関係性を構築していく上でのポイントの一つなんだろうといつも思います。
なんつって。
写真は、米子の水。
米子の水道水は、大山のブナ原生林などで濾過された天然地下水を元とし、適度なミネラルを含み、衛生基準上義務付けられている最低限の塩素消毒により供給されています。
ちなみに、僕が大阪から引っ越してきて最初に家でご飯を食べた時に
僕「お米変えたんだね、こっちのお米の方がすごい美味しいわ」
妻「いや、持って帰ってきた同じお米だよ」
僕「え?全然違うけどなぁ。」
これはウソのような実話です。
ちなみに、僕はどこの水道水でも美味しく飲める適応力の高い(無頓着な)人間で、
天然水を買ってお米炊く人とか意味わからんと思ってたタイプの人間なのですが、
お水って重要なんやな、と初めて分かったエピソードです。