昨日ポロポロっと書いてた、

 

「あるポイントをどう効かすかは、その反対側がカギを握っていることもある」

ってこと。

 

これは、とても普遍的な気づきでした。

 

 

そもそも音楽って、音が鳴っている部分と、音が鳴っていない部分があるから成立するわけで。

 

ずっと鳴っている音って「無い」に等しいことも多くあって。

 

 

 

例えば、

 

図書館で聞こえるエアコンの「フォー」って温風が出る音。

扇風機の「ヴーン」というモーター音。

時計の秒針の「カチカチ」いう音。

 

 

音出てるけど、出っ放しで、「無い」に近いよね。

(たまに渾身の1音がなるとまた違うと思うけど)

 

 

 

在るところを効かせるためには、「無い」ところをどうやって大切にするか、という。

 

 

考え方の方向性でいうと、「ある」と「ない」は等価で。

 

つまり、デジタル的に言うならば、

 

 

「1」があるのと、「1」がない、ではなく。

 

 

「1」があるのと、「0」が ”ある”  ということ。

 

 

 

「音符が無い」ではなく「休符が有る」ということですよね。

 

 

 

 

喋ることでも、あれ伝えなきゃ、これ伝えなきゃで、ついつい言葉数が増える。

 

 

でも、本当に伝えたいことを伝えるには、言わないこと、言葉の無い時間、をしっかり大切にすることって大事だな、と気づきました。

 

 

ねえそんなに喋らなくても 私笑っていられるから。

あ、なんかZARD出てきたわ。

 

 

 

ともかく、逆こそが大事なとき、ある。

 

これ本当に今でも大事にしてます。

 

 

 

 

 

 

もう1つ学んだこと(たくさんあるけど)は、「客観的に引いて観ること」。

 

 

 

ジャズやってて、トロンボーンに制約感じるって、この前に書きました。

(例えば「高い」「早い」が苦手)

 

 

ライブやってて、「すげー」とか言ってもらえたり、「すげー」と言ったりすることがあったとして、隠れた部分として「トロンボーンなのに」という前提がかかってるね、ってことあります。

 

 

つまり、

 

 

「(トロンボーンって高い早い苦手なのにその割に、高い早いできて)スゲーな」

 

 

と、トロンボーンの特性を知っている有識者限定の、一見様お断り知る人ぞ知る「会員制スゲーな」になってるケースかなりある。

 

つまり、その業界人の前提教養がないと、何がどう「スゲー」のか全くよくわからない。

 

聴いてもらう方がそういう客層であるとかで、敢えてプレーヤー側にそういう意図があれば良し。

 

 

だけど僕は全くそうではなかったわけで。

 

 

 

 

ハッと気づいたのは、学生時代。

閉じた世界の観客相手に演奏してたときのお客さんの反応と、

ストリートや何やで一般の方向けに演奏してたときのお客さんの反応が、全然違うのね。

 

 

 

簡単にいうと、業界人からすると

「早い、高い、スゲー」

なんだけど、普通のお客さんの聴きごたえ、聴き映えからすると

 

「ていうかさ、そのプレイなら、敢えてトロンボーンでやんなくても良くないすか?」

 

という状態なのね。

 

 

ああ、そもそも、楽器の得意で無いことをウリにしてどうする。

 

 

 

その時に思い出したのは、大学1年生の時に先輩にCD貸してもらったときのこと。

 

JJジョンソンというトロンボーンの本当に素晴らしいレジェンドプレーヤーのCDだったんだけど、そのジャケットに

 

「バルブトロンボーンではありません」

 

って書いてあった。

 

 

で、その先輩が

 

 

「バルブトロンボーンではありません、って書くほどのフレージングが早くてすごいプレイヤーなんだよ」

 

と熱く教えていただいたのです。

 

 

 

でも、僕はすごくシンプルに

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、バルブトロンボーンでやればよくね?」

 

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

 

つまり、そういうことなんだよね。

 

 

 

 

(あ、誤解のないように言っておきますと、JJはバルブで出来ないカッコ良さを出してるので、ただ僕のその時の”聴きもしない上での”シンプルなコメントというだけ)

 

 

 

 

 

だから、一旦、引いて観る。

 

 

 

その上で、誰にどんな風に聴いて欲しいのかを考えて、再セットする。

 

 

 

これはすごく教えてもらいました。