ここ半年間、夜明け前に起きて、体操、散歩、読書などのルーティーンを欠かさずやってます。自分でもよく続いてる方です。

 

ここ数日、目に見えて朝日に照らされ始める空が、春の気配を漂わせてきました。

素晴らしい。

 

 

さて、今日も新聞をみると、ロシアのウクライナ侵攻、なんつーことだ。

 

戦争起きるなんて。

たくさんの人の命が奪われるなんて。

絶対戦争なんか。

 

それは本音。

それは本音と前置きした上で。

 

 

 

でも、自分らの都合による西側の理屈に染まりきった考えだとしたら。

 

自分がロシアだったらどうなんだろう。

 

各種メディアの解釈も、当然西側(自分ら側)の都合なので。

 

本当の本当は、今まで何が起きていて、反対側からはどう見えているんだろう。

 

 

ウクライナって、モスクワ近いよな。

 

NATOに入るとかいって、西側連合のミサイル配備とかされたら正直たまらんかもな。

 

ほんでウクライナがソ連時代の同胞で、民主主義の名の下に西側の論理で分割された国だったとして。

 

認めるも認めないも、西側の力によって「独立国」ということが様々な既成事実によって固められたものだったとしたら。

 

 

 

 

 

例えば、僕の感覚に近い逆の例を考えてみると、こういうことだったら、どんな感じだろう。

 

あくまで仮想の歴史。

 

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日本が第二次世界大戦に敗れました。

 

中国(例えばね)を始めとるする連合が、日本を統治下に置きました。

 

日本ヤバイので、力を削がなきゃいけないので北海道、四国、九州の適任な指導者に強力なバックアップを与え、独立させました。いわゆる革命という名のクーデターです。

 

NATOとは歴史的敵対関係(ここの仮想の歴史の話ね)にあり、日本を消滅させたくてたまらない。

 

NATOの国々は経済的な支配力を背景に、民主主義、人道的建前にした日本へのネガティブキャンペーンを展開します。

 

そのうち四国がNATO入りてーとか言うことを言っていますが、 NATOに入ると大阪、名古屋、東京を射程距離に納めたNATO(例えば実質は中国)のミサイル基地が作られる恐れがあります。

 

そうなると、喉元にナイフを突きつけられた状態で、今後ずっと外交交渉を行うことになります。

(日本にとっては決定的な安全保障上のむちゃくちゃなリスクです。もはやこれは死活問題ですよね)

 

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さて、私ならどうする。

あなたならどうする。

 

あー、もしそんな感じだったらどうするんだろ。

 

ルールは、何かしらの力の均衡点がある状態じゃないと、働かない。

つまり、パワーバランスが崩れた時点で、ルールなんて存在しなくなる、という現実の中で、喉元にナイフを突きつけられるような状態になりそうなときに、どうするんだろ。

 

戦争は何が何でもやっちゃいけない。

という前提の中だけど、相手に何が起きてるんだろ。自分ならどうなっちゃうんだろ。

聞いてること、読んだこと、見えることが、本当の姿なのかな、ということを考えるよね。

 

ちょっと前だけど、新聞広告大賞で

「戦争と、戦争しよう」

なんてコピーがあったけど、戦争が相手だって、戦争しちゃダメだ。

 

マザーテレサも言ってたじゃん。

 

「私は、反戦集会には参加しませんが、平和集会には行きます。」

 

心に刺さった言葉です。