面白くもない自分の話、思い出しながら。

 

 

 

自分は大器晩成、大器晩成。 

小さい時からずっとそう思ってます。

 

 

 

未熟児で生まれるわ。

 

なかなか立たないわ、喋らないわ。

 

小学校低学年まで、文字は読めるけど文章が理解できないから、解答はいつも空想で書くから、先生からは懇談で「想像力がたくましいお子さんですね」と言われるわ。

 

オネショは全然治らないから、びっくりするほどだけど小学校高学年まで垂れ流し続けるわ。

 

 

 

 

でも、心配な子供だと扱われることなく、なんか期待をされて育った感覚があって。

 

「この子はきっとすごい才能を持っている」

 

そう思ってくれてた気がすごくするんです。

 

 

 

 

だから、昔も今も変わらず、自分は大器晩成だと思っています。

 

まだまだこれからが楽しみ。

 

これが結構自分の心の根底にある支えなのかも。

(中田敦彦さんも同じようなこと言ってたな)

 

 

  

自分の子供の頃を振り返って思うのは、

 

「心配な子」「何か問題あるんじゃないか」

 

と思われてると感じてなかったことが大事だったなぁと思う。

 

 

 

自分の小さい頃の話を聞くと、自分の子供なら心配になると思うし、人によっては特別な問題のある子と考える人もいたと思う。

 

でも自分の中で「心配な子」「問題のある子」とカテゴライズしなかったことが良かったな、と。

 

 

 

それは(うちは父親がほとんど家にいなかったので)母親の接し方だろうな。

 

小学校にもなって毎晩おねしょしてても。

 

問題文の意味を理解するだけでテスト時間切れになってても。

 

 

 

 

「マイペースだねぇ」「ユニークだねぇ」

 

 

 

と。

 

 

 

そういえば坂本龍馬が、泣き虫のしょんべんたれだった伝記を読んで、勇気づけられたっけ。

 

自分で自分をどのようにカテゴライズするかって、すごくマインドセットとして大事な気がする。

 

 

 

 

大丈夫、みんな大器。

 

みんな晩成かどうかは分からないけど、人は一生育つ。

 

その意味で、”晩まで成り続ける”、よね。

 

 

 

子供は親をよく見てて、ヒソヒソと「あの子はおねしょが長くて心配で」とか子供が聞いてないと思って話していても、よく聞いてるんです。

 

「僕はそういう子なんだ」

「僕がいることで大好きなお母さんに心配かけてるんだ」

 

ほんと、いろんなことを思ってます。

感じてます。

 

親自身がどういうマインドセットで子供を見つめてあげるか、めちゃめちゃ大事だなぁと自分を振り返って、改めて思います。