変化をしていない組織って、ちょっとした変化でも猛烈な拒絶反応が起きます。

 

いわゆる、仕事のための仕事であり、自分の快適性のための仕事であり、価値創造の仕事ではないということです。

その視点の時点で課題があると言わざるをえません。

 

例えば店頭であれば、価値創造がなければ必ず売上に跳ね返って来ます。

間接部門であればどうか。

現場その他への価値創造がなければ、間接的に利益に跳ね返って来ます。

ただし、それは自らの責任として自覚されにくい。

 

変化は世の常です。

自分は消費者として、人間として変化をして、それにつれて外へは変化を求めていながら、自分の仕事は変化をしたくない、というのは道理が通りません。

 

 

だから、日々変化をしなければなりません。

しなければならない、という部分から脱皮をして、変化を楽しまなければなりません。

 

 

その脱皮には、変化を習い性とすることが大切です。

変化に次ぐ変化に巻き込まれ、その中でもがき、進み、それが自らの身につくまで。

 

 

人は元来善人であり、全て愛すべき人であるということと同時に、

人は元来怠け者で、怠惰なものである、ということも信じています。

 

 

無変化は、変化への力を失わせ、同時に人を傲慢にします。多様性への許容力も失わせます。

 

 

 

まず、変化、変化、変化。

 

 

なんのためにやんの。

と問われますけど、”変化”自体が目的である、ということをこの2年繰り返しやってきました。

 

 

様々な反対や陰口があっても、とにかく固まりきった地面をガンガン掘り返す。

1つ1つが成功だ、失敗だ、よりも、土壌を整備しなければいけない。

 

 

変化が習い性にならないと、勇気ある人財たちの自発的な変化が生まれないと思っているから。

変化の度に袋叩きに遭う土壌だったら変化なんて生まれるはずがない。

 

 

だから、最初は袋叩きに遭っても、ガンガン変化を作らねばならないと思います。

そこに巻き込まれ、習い性になり、結果として変化を許容できる風土になったときに、若い力がようやく自分で変化を発信できる、発信しても前向きに建設的な議論になる風土になります。

 

 

それまでは、徹底的に変化を作り、周りをある意味では振り回し続けることが必要だと思っています。

 

 

しがみついている人たちを吹き飛ばし、鎧を纏っている人たちを裸にする。

そうとう抵抗されるけどな。

 

 

そこに愛があれば。

動機が善であれば。