否定するのは簡単
色々なニュースを見て、そこに書かれているコメント。
アマゾンや価格ドットコムとかで書いてあるレビュー。
ブログや2chまとめブログなどで書かれているコメント。
その他もろもろ書いてあるコメントなど。
記事だけでなくそういうところを思わず読んでしまう。
時には辛辣に時には優しく書いてあるのを見て
本当に色々な考えの人がいるんだなーと。
特に最新のものや購入を考えているもののレビューなどは
賛否両論交えて非常に参考になります。
ここがいい、ここが悪いなど、メリットデメリットがきちんと
評価されているでのわかりやすい、と思う。
しかし気になるのは批評になっていない批評。
もちろんダメなものをダメと言って全然かまわない。
そういう意見を抹殺する権利など誰も持ち得ない。
自由に発言出来る権利を僕らは持っている。
だからと言って、ボケだの死ねだのは別に言う必要はない。
それは批評批判ではなく、単なる暴言戯言、頭の悪さを露呈しているだけに思う。
例えばポニョ。
「面白かった」「泣いた」「感動した」「絵がきれい」「神作品だ」など、
作品を見て素直にそう感じた批評なんでしょう。
「つまらんかった」「見る気がしない」「他の方が面白かった」「見たくない」など、
これも同様に、見た結果そう感じた上での批評。
いずれも一度その作品を見た上での批評なので、素直な意見でいいと思う。
「誰が見るんだよ、こんな映画」「宮崎アニメは嫌いだから見に行かない」「時間の無駄」
作品を見ないまま先入観によってする批評。
それもまた個人の自由。
世に流行っているものや、皆がいいと言うものに対してとりあえず否定したがる。
でも別にそれも特に悪いとかいうわけじゃない。
そう言いたがる気持ちもわかる。
でもこれはどうだろう?というのが、否定を前提としながら更に突き放す言い方。
「こんな映画作るなよボケが」「アニオタは死ね」「見るわけねーだろカスが」
これは何を言いたいのかよくわからない。
そういう映画がとにかく嫌いで見たくないのなら見たくないとか嫌いと言えばそれでいいわけで
そこにボケだのカスだの死ねだの付け加えるのは何故なんだろう。
そこまで罵りたくなるほど嫌いな気持ちはわかるが、それなら直接言えばいいのにと思う。
日常世界でこういう発言をすると、言われた相手は激高するか落ち込んでしまうでしょう。
間違いなくケンカになるし、下手をするとそれが元で大変なことになってしまう。
だから日常ではよっぽどひどいことをされたり裏切られたりでもないと
なかなかこういう発言は出来ないよね。
会社とか仲間内とかあるいは通りすがりの人に激しくむかついても
思っていてもなかなか口には出せない。
でもネットではどれだけ激しく罵っても自分に危害が及ばないから平気になる。
なんか浅ましいというか、小さいですね。
例えネットで顔が見えなくても言葉は残るから、一度だってそういう発言はしたことないです。
自分がされたらイヤなことは相手にもしないし、またそういうことをする自分が情けなく見えるので
やりたくないです。
そういうことをしてしまった自分がイヤになります。
どんな相手であっても、どれだけ理不尽であっても、決して激高せず、大人の対応をするよう
心がけているつもりです。
それでも何気ない一言が相手を傷つけたりするので、本当に伝えるのって難しいですね。
豊かになった分、心が貧しくなってしまったように感じます。
僕自身がこういう人と同じようにならないよう、自分をしっかりもたなくてはいけないなと
数々のコメントを読んでそう思いました。
否定するのは簡単。
否定しても相手を認めてあげることが大切。
そういう人でありたいもんです。