BSフジの「赤線地帯」を見て
古い映画って、見る人のセンスが結構露骨に出てしまうよね。
リアリズム映画というのは時代を切り抜いたものだけれど、
映画の感想というのも、その映画の一部分を切り抜いたものであって、
どの部分に着目するのか、というところで、
その人の見識、センス、感性が見えてくるのだと思う。
その人は映画の上っ面の部分だけで見ているのか、
それとも映画の奥の奥までしっかりと味わっているのか、
その人が着目したポイントによって、その人の人間としての深さのようなものが
結構露骨に分かってしまうのかもしれない。
最近の映画だと、時代背景などのハードルが低いので
どこが見所なのか分かりやすい映画が多いけれど、
古い映画だと、時代背景だとか、いろんなハードルがあまりにも高い映画も少なくなく(例えば「雨月物語」とか。あれはあまりにもハードルが高すぎる(苦笑))
見るのを敬遠してしまう人も確かに多いよね。
でも、見所が分かり難い映画というのは、逆に言えば
見る人の感性や見識を見分けやすい映画といえるかもしれない。
見識というのは、映画だけにしか通用しないというものではなくて、
本当に見識がある人は、映画だけでなく、政治だとか経済だとかについても、同じように鋭い見識をもつことができるのではないかと思う。
本当に見識があるのか、それともただのにわかなのか、それを見分けるためには、誰も見ないような古い映画で判定するのが、実は効果的な方法なのかも、とか思ったり。
古い映画には、時代のハードルを乗り越えるような優れた映画もたくさんあるけれど、ハードルを乗り越えない映画は単純に悪い映画だというわけではなくて、
逆に言えば、そういった映画は、その時代をよく反映しているということも言えるのではないかと思う。
文学的な映画というと、暗い作品ばかりが取り上げられる印象があるけれど、
暗いものだけが文学ではないと思う。
もっと明るい、面白いものもあると思う。
面白いというのは、コメディという意味ではなく、
物語としての面白さ(作り話としての安っぽい面白さという意味ではなく)
奥行きの深さのようなものを感じると、心が満たされていくのを感じるけれど、
あまりにも薄っぺらい、外面だけ装って中身がないペラペラの内容だと、心が寒くなる。
一方向の解釈だけで完結してしまうような薄い内容で終わることのない、深い味わいのある映画だとか小説だとか人間だとかが私は好きなのです。
映画がはじまる前の解説に関して。
古い映画だと、時代背景だとか、金銭の価値が今の時代と違っているので、そのあたりの解説とかがあっても良かったんじゃないのかな、と。
今の時代の百円ははした金かもしれないけれど、昔の時代は大金だった時代もあるわけで。
それと、古い映画の場合、出演している人が誰が誰だかよく分からないことも少なくないので、誰が誰なのかについてもうちょっと教えてくれても良かったんじゃないのかな、と思いました。
古い映画だと、視聴率はかなり低くなってしまうかもしれないけれど、
たとえ見る人がひとりしかいなくても、そのひとりのために
一生懸命になってくれる人に、僕は惹かれてしまいます。
「どうせ見る人少ないから適当で良いや」と思いながらやられると、
見る側としては、なんか嫌な感じがするし。
BSフジのシネパラは、決してそんなことはないとは思うけどね。
ちなみに、川崎という街にも風俗街があって、
駅前の表通りを一つ裏に行くと、ピンクな看板がたくさんあったりするわけですが、
そのあたりを散歩してみると、かなり可愛い女の子が「おはようございまーす」と元気な声で入店していく光景とかを見たりします。
店の黒服さん(男性店員)と元気に会話していたりとか。
もちろん、私は実際にそういう店の中に入ったことは一度もないですけどね。店の入り口を見ただけですけれど。
風俗に携わる人だけがみんなドロドロした闇を抱えているというわけでもなく、
風俗に携わる人たちはみんな可哀想な人たちなのだ的な発想は、ワンパターンのようにも思える。
可哀想な人たちを描くために風俗を題材にしたということであれば、今の時代においては、あまりにも発想が単純なようにも思える。(決して悪い意味ではなく)
しかし昔の時代においては、そうしたものをそうしたように取り上げることは普通だったのかもしれない。
映画として取り上げる題材だとか描写手法だとか、時代によって移り変わっていく違いについて意識するのも面白いかもしれません。
■関連記事
BSフジの「雨月物語」について (2010-01-31 05:24:53)
リアリズム映画というのは時代を切り抜いたものだけれど、
映画の感想というのも、その映画の一部分を切り抜いたものであって、
どの部分に着目するのか、というところで、
その人の見識、センス、感性が見えてくるのだと思う。
その人は映画の上っ面の部分だけで見ているのか、
それとも映画の奥の奥までしっかりと味わっているのか、
その人が着目したポイントによって、その人の人間としての深さのようなものが
結構露骨に分かってしまうのかもしれない。
最近の映画だと、時代背景などのハードルが低いので
どこが見所なのか分かりやすい映画が多いけれど、
古い映画だと、時代背景だとか、いろんなハードルがあまりにも高い映画も少なくなく(例えば「雨月物語」とか。あれはあまりにもハードルが高すぎる(苦笑))
見るのを敬遠してしまう人も確かに多いよね。
でも、見所が分かり難い映画というのは、逆に言えば
見る人の感性や見識を見分けやすい映画といえるかもしれない。
見識というのは、映画だけにしか通用しないというものではなくて、
本当に見識がある人は、映画だけでなく、政治だとか経済だとかについても、同じように鋭い見識をもつことができるのではないかと思う。
本当に見識があるのか、それともただのにわかなのか、それを見分けるためには、誰も見ないような古い映画で判定するのが、実は効果的な方法なのかも、とか思ったり。
古い映画には、時代のハードルを乗り越えるような優れた映画もたくさんあるけれど、ハードルを乗り越えない映画は単純に悪い映画だというわけではなくて、
逆に言えば、そういった映画は、その時代をよく反映しているということも言えるのではないかと思う。
文学的な映画というと、暗い作品ばかりが取り上げられる印象があるけれど、
暗いものだけが文学ではないと思う。
もっと明るい、面白いものもあると思う。
面白いというのは、コメディという意味ではなく、
物語としての面白さ(作り話としての安っぽい面白さという意味ではなく)
奥行きの深さのようなものを感じると、心が満たされていくのを感じるけれど、
あまりにも薄っぺらい、外面だけ装って中身がないペラペラの内容だと、心が寒くなる。
一方向の解釈だけで完結してしまうような薄い内容で終わることのない、深い味わいのある映画だとか小説だとか人間だとかが私は好きなのです。
映画がはじまる前の解説に関して。
古い映画だと、時代背景だとか、金銭の価値が今の時代と違っているので、そのあたりの解説とかがあっても良かったんじゃないのかな、と。
今の時代の百円ははした金かもしれないけれど、昔の時代は大金だった時代もあるわけで。
それと、古い映画の場合、出演している人が誰が誰だかよく分からないことも少なくないので、誰が誰なのかについてもうちょっと教えてくれても良かったんじゃないのかな、と思いました。
古い映画だと、視聴率はかなり低くなってしまうかもしれないけれど、
たとえ見る人がひとりしかいなくても、そのひとりのために
一生懸命になってくれる人に、僕は惹かれてしまいます。
「どうせ見る人少ないから適当で良いや」と思いながらやられると、
見る側としては、なんか嫌な感じがするし。
BSフジのシネパラは、決してそんなことはないとは思うけどね。
ちなみに、川崎という街にも風俗街があって、
駅前の表通りを一つ裏に行くと、ピンクな看板がたくさんあったりするわけですが、
そのあたりを散歩してみると、かなり可愛い女の子が「おはようございまーす」と元気な声で入店していく光景とかを見たりします。
店の黒服さん(男性店員)と元気に会話していたりとか。
もちろん、私は実際にそういう店の中に入ったことは一度もないですけどね。店の入り口を見ただけですけれど。
風俗に携わる人だけがみんなドロドロした闇を抱えているというわけでもなく、
風俗に携わる人たちはみんな可哀想な人たちなのだ的な発想は、ワンパターンのようにも思える。
可哀想な人たちを描くために風俗を題材にしたということであれば、今の時代においては、あまりにも発想が単純なようにも思える。(決して悪い意味ではなく)
しかし昔の時代においては、そうしたものをそうしたように取り上げることは普通だったのかもしれない。
映画として取り上げる題材だとか描写手法だとか、時代によって移り変わっていく違いについて意識するのも面白いかもしれません。
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