政治と国民目線。「変える」ということの真の意味 | 徒然なるままに

政治と国民目線。「変える」ということの真の意味

政治というのは
国民目線を忘れてしまうと駄目なのだと思う。

国民目線を忘れ、ひとりよがりに走ってしまうと
それは単なるオナニー映画と変わらない。
映画を観て「感動した!」と言う事は誰にでもできるけれど、
国民からきちんと納得し、評価される政策を常に実行し続けるというのは、
まずなによりも先に、自らを律し、常に真摯な姿勢で居続けることがなにより問われるのだと思う。
少なくとも、選挙で勝ったから調子に乗って言いたい放題言う、というのは
まともな知性を持っている国民から見ると白けるのは間違いのないことで、
そうした政治家はいて欲しくはないけれど、もしそういう政治家がいるのだとしたら、メディアに叩かれる前に即刻根性を叩きのめさなければならないのではないか、という気も。

一方向の意見だけを聞くというのは偏りが悪くなる。
一見もっともらしいことを言っている人の意見が本当に正しいとは限らない。
常に、その考え方に穴がないかどうかをしっかりと考えることが大切で、
穴があるならそれを埋める努力をするべき。
本当に国のためを思っているのであれば、
少なくとも穴を隠すべきではない。
しかし自民党にしても民主党にしても官僚にしても、
みんな隠すのが上手い人たちばかりで、それは逆に言うと
国民やライバルに隠さなければならないことがあまりにも多いということの
一つの表れなのではないかと。
少なくとも、それは「透明性」からはかけ離れた状態であり、
そういった、一つ一つの問題をしっかり行うという、真摯な姿勢を見せるということがまず問われるのではないか。いくらなんでも、ヘラヘラ半笑いでやられちゃたまんないですよ。そういう人は自民党にも民主党にもいるけどね。



今週の「とくダネ!」の視聴者から意見を問う企画については、
国民目線をしっかり考えていることの一つの表れであり、
そのことについては、きちんと評価して良いのではないかと思う。
自民党政治から民主党政治になり、
公共事業によって生計を立ててきた建設業界やIT業界など
多くの人々にとっては、今の仕事を辞めざるを得ない人たちもこれから増えてくるのだろう。
そうした人たちに対するケアもしっかりと考えていかなければならない問題で、
単にシステムを新しくすれば良いというだけの問題ではないのは確かなことである。
私個人は主に一般企業や個人向けの仕事をしているけれど、
知り合いには公共システム頼りで生活している人も少なくなく、
そうした人の生活を考えると、私は
何もかも変える、ということには首を傾げざるを得ないのだ。
公共事業というのは現実として雇用に直結している側面もあり、
公共事業がなくなることで、
好きな仕事を辞めざるを得ない人も実際に出てくるのだ。
どんなに泣こうが他人に縋ろうが、彼らは仕事を辞めざるを得ないのだ。

何もかも変えれば上手くいくというのは何も知らない人の考え方で、
実際のビジネスの渦中にいる人、ほんものの実情を知っている人にとっては
バランスをとった対応をしなければならないというのはみんなが知っていることのはず。
新しいことを行いつつ、古いものから新しいものに変わる際のケアをこれからどれだけきちんとやることができるかどうかが、今後問われてくるのではないだろうか。