コアユーザーと一般ユーザーと物語への参入障壁について | 徒然なるままに

コアユーザーと一般ユーザーと物語への参入障壁について

以下は、単なる個人的備忘録です。


作品を作る人にとって、コアユーザーに目を向けるか、それとも一般ユーザーに目を向けるか、ということは、非常に難しい采配が必要とされるものかもしれない。

例えば、コアユーザーに満足してもらおうと、奥行きの深い作品を作ると、“難解”なものになってしまい、コアユーザーには満足してもらえるけれども一般ユーザーにとってはちんぷんかんぷんで、それが故に読者や観客が物語の世界を敬遠してしまい、映画離れ、ドラマ離れ、本離れにつながってしまうかもしれない。

しかしだからといって、読者や観客の読解力が足りないからといって、読者や観客の読解力に合わせて低レベルの作品ばかりを量産していったら、今度はコアユーザーにも見放され、業界自体がさらに衰退していってしまうのではないかとも考える。

要するに両方の人にとって楽しんでもらえる作品というのが、作家性という面から言っても、ビジネスの面から言っても好ましいことは間違いの無いことだと思うが、読者や観客の好みというのは常に移り変わっていくものであるので、その心をしっかり掴みとる、ということはなかなか難しいのかもしれない。
例えるならばドジョウ掬いのような感じ。ドジョウが踊っているのか、それともドジョウに人間が踊らされているのか。
また、相手の好みを探りつつ、相手が自分に振り向いてくれるように努めていく、という部分においては、恋愛にも似た部分があるかもしれない。

麻薬中毒に例えるのは少々アレだけれど、ライトノベルなど入り口のジャンルを設けて読者を物語の世界にどっぷり浸からせ、一種の中毒状態にさせてしまい、麻薬(=物語)がないと禁断症状が出てしまうほどどっぷり浸からせていく、というのも良い方法なのかもしれない。幸い日本国民は流されやすい国民性を持っていて、映画「下妻物語」などからロリータファッションに手を染めていく若い女性というのもいるし、物語を通じて読者や観客をより深いところに誘っていく、というのが重要な要素といえるのかもしれない。


読者や観客の立場からいうと、物語とより深く付き合っていきたいのであれば、段階を経て、より深く物語に親しんでいく、という感じが良いのかもしれない。
例えば、以下の(1)→(4)という感じで読み進めていくと、より深く読み進められるかも。

(1) 分かりやすい単純な物語、エンタメ色の強い作品群

読者や観客の読解力を必要とせず、何も考えずに楽しめる作品群。
しかしコアユーザーにとっては、これだと物足りないと感じる人も少なくないかもしれない。

・勧善懲悪系アクション
・ラブコメ
・コメディ
・名探偵が出てくる推理小説

ライトノベルでは、大抵の萌え路線の作品がこの部類に属すると思う。小説を読んだ経験のない十代~二十代の人にとっては、ライトノベルが、小説の世界に入り込むための入り口になるかもしれない。
例えば、「灼眼のシャナ」などは、ダークな要素も含まれているがその要素が極力薄められていて、エンタメ色が強くなっている。(ただ、最新作などでは風呂敷を広げすぎたのか設定がやや複雑になり過ぎてしまっているきらいがあるけれど)



(2) (1)の要素に、ダークな要素など大人が楽しめる要素を織り込んだもの

映画だと「犬神家の物語」とか。(名探偵モノだけれど、毒々しい家族ドラマも描かれている)
漫画だと「鋼の錬金術師」とか。(例の教主だとか、自分の欲望のために妻や娘を犠牲にする錬金術師だとか。ブラックなネタが「死」に頼りすぎている感じもしないでもないけれど)
ライトノベルだと、“戯言シリーズ”や“文学少女”シリーズなど。
特に“文学少女”シリーズは、ラブコメの要素とダークな要素が上手い具合に融合しており、小説を読んだ経験のほとんどない人からコアユーザーまで楽しむことが出来るのではないだろうか。

ダークな要素の調合比率というのは非常に難しいもので、全く無いと刺激が少なくて物足りない感じがするけれど、あまりに多すぎると単に胸糞が悪いだけのものに成り下がってしまう部分もあるので、非常に難しいものなのだと思う。ダークな要素というのは、ちょっぴり大人なワサビの味、といった感じだろうか。ワサビというのは適切な量が含まれているからこそ美味しく頂けるのであり、ワサビまんじゅうのようなものは、よほどのマニア以外は単なる罰ゲームに過ぎない。しかしワサビの味に慣れてしまった者にとっては、ワサビがないと“食べた”感じがしないのだ。満腹感が得られないのだ。そこらへんのバランスがとても悩ましいところ。



(3) 癒し系の要素が少なくなり、テーマ性などがより深くなっていく作品群

戦争批判系の戦争アクション映画など。例えば最近観た「スリー・キングス」という映画なんかは、ただの頭の悪い戦争アクションアドヘンチャーかと思いきや、その裏側には非常に強い戦争批判のメッセージが隠されている。その皮肉めいた一連の描写については、こうした作品に慣れていない人にとっては胸糞悪くなる人もいるかもしれない。

文学の世界だと、純文学とか古典とか海外文学とかはだいたいこの辺から。



(4) 癒し系の要素を排除した真性サスペンス

コアユーザーには満足されるが、一般ユーザーにはよく理解できない、というタイプの作品。
映画だと、「ダウト」などは、癒し系の要素を排除し、人間の真理に迫っていく優れた作品だが、こうした作品に慣れていない人にとっては、胸糞悪いどころか、そもそも理解ができないと感じてしまう人もいるのかもしれない。

こういう作品群に関しては、よく「難解」という言葉で評されることも多い気がする。
ただ、「難解」という言葉が都合よく使われている感じもしないでもない。本当につまらないただの駄作に対しても、駄作と言ってしまうとなにかと問題があるので「この映画は難解だ」で済ませてしまう人というのも少なくない気がする。特にメディアなどで作品を紹介している人にとっては、「難解」という言葉で済ませている人も少なくない気がする。もちろん、そういう世界にいる人にとっては、作品を直に批判する、ということはいろいろな理由から難しいのだと思うので、やむを得ない部分もあるのだとは思うけれど。