「正しさ」の判断基準について
そもそも、何が「正しい」ことなのか。「正しい」ということの定義は、ひどく曖昧なものだと思います。
「正しい」ことの定義は、人それぞれ異なります。
例えば、身近なところだと、自民党と民主党の対立というものは、それぞれが「正しい」と主張し、毎度のようにぶつかり合っています。
また、世の中には、反アメリカ的な活動をしている団体も多く、テロ活動という反社会的な行為によって自らの主張を世間にアピールしています。彼らは、自爆テロという行為で命を張ることが出来るまでに、自らの主張を正しいと信じている、ということかもしれません。
日本にしても、戦時中は、敵兵を殺すことが正しいことと教えられていました。人間を殺すことが正しい時代もあったということです。
NHKスペシャルで放送された、ブラジル奥地のある部族の集落では、現在も、嬰児の間引きが行われています。生まれてきた子供の一部を火あぶりにして殺すのです。しかし、その部族ではその行為は法律違反でも何でもなく、文化の一つなのです。
どのようなことが本当に「正しい」と言えるのか、正しい倫理、道徳のあり方とは何なのか。人を殺すのが正義なのか、人を殺さないのが正義なのか。それらは、国や宗教や時代文化などにより、変遷していきました。本当に正しいものは何か、などというものは、一言で断言できるものではないのかもしれません。
例えば、日本人としての「正しさ」の指標としては、憲法や法律等がありますが、それらに書かれていないことであれば何をしても良いかというと、そういう訳でもありません。例えば、人を裏切る、という行為に関しては、詐欺を働いた場合は犯罪になりますが、単に浮気をした場合ですと、まだ結婚していないカップルの場合では罪に問われない場合がほとんどかと思います。しかし、倫理的、あるいは道徳的な観点から言うと、人を裏切る行為は「悪」に相当するのではないかと私は思います。
何が正しくて、何が間違っているのか。
その判断基準を正しく保つためには、知識を学び、知恵を得て、経験を積むのが第一かと思います。
世の中には言論家や扇動家のような人間もいて、社会を自身にとって都合の良いものにするために自身の主張を行う者がいます。それは主に、政治家であったりメディアであったりします。そういった者たちの耳障りの良い主張に騙されて安易で誤った選択をしないようにするためには、自らが本当に正しいと思える判断基準を持つことが大切ですし、そのための努力は決して怠ってはならないのだと思います。
「正しい」ことの定義は、人それぞれ異なります。
例えば、身近なところだと、自民党と民主党の対立というものは、それぞれが「正しい」と主張し、毎度のようにぶつかり合っています。
また、世の中には、反アメリカ的な活動をしている団体も多く、テロ活動という反社会的な行為によって自らの主張を世間にアピールしています。彼らは、自爆テロという行為で命を張ることが出来るまでに、自らの主張を正しいと信じている、ということかもしれません。
日本にしても、戦時中は、敵兵を殺すことが正しいことと教えられていました。人間を殺すことが正しい時代もあったということです。
NHKスペシャルで放送された、ブラジル奥地のある部族の集落では、現在も、嬰児の間引きが行われています。生まれてきた子供の一部を火あぶりにして殺すのです。しかし、その部族ではその行為は法律違反でも何でもなく、文化の一つなのです。
どのようなことが本当に「正しい」と言えるのか、正しい倫理、道徳のあり方とは何なのか。人を殺すのが正義なのか、人を殺さないのが正義なのか。それらは、国や宗教や時代文化などにより、変遷していきました。本当に正しいものは何か、などというものは、一言で断言できるものではないのかもしれません。
例えば、日本人としての「正しさ」の指標としては、憲法や法律等がありますが、それらに書かれていないことであれば何をしても良いかというと、そういう訳でもありません。例えば、人を裏切る、という行為に関しては、詐欺を働いた場合は犯罪になりますが、単に浮気をした場合ですと、まだ結婚していないカップルの場合では罪に問われない場合がほとんどかと思います。しかし、倫理的、あるいは道徳的な観点から言うと、人を裏切る行為は「悪」に相当するのではないかと私は思います。
何が正しくて、何が間違っているのか。
その判断基準を正しく保つためには、知識を学び、知恵を得て、経験を積むのが第一かと思います。
世の中には言論家や扇動家のような人間もいて、社会を自身にとって都合の良いものにするために自身の主張を行う者がいます。それは主に、政治家であったりメディアであったりします。そういった者たちの耳障りの良い主張に騙されて安易で誤った選択をしないようにするためには、自らが本当に正しいと思える判断基準を持つことが大切ですし、そのための努力は決して怠ってはならないのだと思います。