今の仕事はそんなかんじ。
イメージとしては。
再開発事業の計画を進めてきて、
最初のビルの建て替え時点でスポンサーから
「投資金額が大きすぎるのでは?」という話に
なってきた感じ。
とりあえず規模を縮小してでも、まず着手したい人と、
全体で整合性がとれた計画こそが大切なのだから、
元の計画を守るべきという人たちがいて。
純粋な「どうあるべき」だけではなく、
個人としての損得勘定も絡んできて、
ややこしくなっている。
個人的には大々的な再開発は好きじゃない。
豊洲だって、一時は注目の的だったけど、
今はどう?って話。
人間の考えることには限界があって、
計画経済が無理なのと同じように、
「整合性のとれた完全な再開発」なんてのは
ある時点の断面においての「完全」に過ぎないと
思う。
長時間にわたる「最適」は自然に、
「こうなっていた」というものではないかと。
ただ。
これまで「再開発」に対して、
いろいろと大きな夢が語られてきていて。
それですべてが解決するような幻想を
多くの人が持ってしまっている。
「何を実現したい」という具体的な目標がなく、
なんとなく「再開発したらよくなる」という幻想。
たぶんこういう再開発はうまくいかない。
かといって、一部先行着手はさらに愚策。
「すべて作りなおす」ことに幻想を抱いていた
人たちの協力が得られなくなる。
関係者の目標が一つにならない案件は
まずうまくいかない。
個人的な目標は
「失敗する案件を作らない」
こと。
作る人はたいてい一生懸命作る。
完成したものが作る人の努力や能力と関係のない部分で
「よくない」と評価されてほしくない。
案件に携わったメンバーが誇りを持って
「おれはあの再開発に携わったんだ」
といえるような案件にしたい。
その自分の目的を達成すべく。
関係者のだれが、どういうスタンスなのか、
何に重きを置いているのか、
それぞれの案の支持率はどれくらいか、
その案に着地したら誰がどういう影響を受けるか、
なんてことを考えたりしている。
純粋な自分の意見だけではなく、
支持率と、パワーバランスと、
誰かの動きが他の人にに与える影響と。
それらを総合して自分がいいと思う結論に
向かわせるにはどうるべきかと考えていたりする。
しかしまあ。
ずいぶんと住む世界が変わったもんだなあ・・・。