易無思也、無為也、寂然不動、
感而遂通天下故、非天下之至神、
其熟能与此
【現代語訳】
易というのものは天の心待ちが、
その卦(ハンギ)の上に現われるのであるから、
易を立てるに当っては、思うことなく、なすことなく、
自分がこういう卦を立てたいとか、
こういうようなのが出来たらよかろうとか、
或る予想するとかいうようなことをしてはならない。
寂然として動ぜず、ただ自然に現れるのを待つのみである。
天下の故に通ずる易を行うことは、
天下の至神、神に通ずるという人でないとできない。
感心して自然に現われる所を判ずるので、
寂然にして不動、一切合さい自分というものはなく、
神の御心に通ずるものである。
【参考】http://www.mitsubishi-budo.com/hengak.html
武道に関して言えば。
「勝ちたい」などと考えるなと。
人事を尽くして天命を待てということだと思う。
仕事に関して言えばどうだろう?
仕事の内容そのものには目的・目標は当然ある。
怖いのは仕事が地位・名誉を得るための手段となること。
本当に止めたほうがよいならダムの建設は止めるべき。
官僚の経歴のために無駄を続ける必要はないはず。