土曜日、前々から行こう行こうという話になっていた鎌倉へ。
意外に近い。
ちょっと路地に入ったところにあった、玉子焼き おざわ で昼食。
ふわふわとした出汁巻き玉子、おいしかったです(´∀`)
しかし、自分ひとりでは絶対に見つけることの出来なかった店。
そもそも鎌倉に行こうと思ったか?あんな裏通りに入ろうとしたか?
そう考えると人の影響を受けるって大切なことだ。
金曜日、採用活動を一緒にした先輩と軽く飲んでいた。
彼はなかなか理解に苦しむ存在である自分を一生懸命考えてきて
くれていた。
「もっと悩んでいる姿、困っている姿を見せればいい」
「もっとかわいがってもらえばいい」
「でも、今のよさはよさで、いいところだから・・・」
支離滅裂ではあるのだけど、なぜか伝わる。
それは理屈を超えた言葉ということなのだろうか?
彼曰く、今の自分を見た若い人たちは
「論理的にスパッと答えを出す、よく出来る人」
と見誤ってしまうだろうと。
決してその場で答えを出しているのではなくて、常日頃から
考えていることが背景にあって、積み上げたものが
その結論であるとは思わないだろうと。
そう、たぶん、彼は半分くらい彼自身に向けた言葉なんだろう。
確かにいろいろと考えている。考えて考えて考え抜いた上に出した
言葉なんだ。その場の頭のよさで切り替えしているわけではなく、
頭の中でいろいろな可能性を考えた上で出した答えだから、
何を言われても反応できる。
昔の上司。とても仕事が出来る人の休みの趣味は「散歩」でした。
毎週末、3時間、4時間と歩いているといっていた。
散歩。実は歩いているだけじゃない。
歩くというスピードだから見える景色もあり、
多少不注意でも事故にならない徒歩だからこそ物思いに耽ることも
できる。ただのんびりしているだけじゃない。
何かを生み出すには何かを取り込む必要がある。
取り込んだものに時間をかけて加工して結果が生まれる。
それが仕事なのかな?と思ったのでした。
とりあえず金曜日、飲みに言って期待以上の言葉をもらったので。
こちらも期待以上のものを返せるようにしなきゃなと思う。