「"カルト"と"マインドコントロール"という二つの言葉は、循環論法的に繋がっている"概念"である」ということをご存知でしょうか?
今回は、その点についての簡単なご説明をしていきたいと思います。
簡単な説明だけではなく、更にもっと詳しく知りたい!という方は、以下のサイトをご覧ください。
専門家である魚谷さんによる、かなり詳しい解説を読むことが出来ます。
マインドコントロールと繋がるカルト
さて、話はマインドコントロールとカルトに戻ります。
まず最初に、ハッサンは「"カルト"というのは悪である。だがそれは"カルト"の信じる内容が問題になっているのではないのだ。信じる内容というのは信教の自由によって保障されているのであって、たとえどんなに変でおかしな教えであったとしても、それを信じる権利は誰にでもあるのだ」と、カルト信教の自由を尊重しているかのような言葉を語っています。
ですがこれは、「"カルト"は"マインドコントロール"を使うことで、個々の自由な意志を奪っていき、それから教えを伝道する・・・といった人権侵害を行なっているから悪なのである」と主張していると言えるのです。
この主張が彼らの"マインドコントロール"を非難するにあたる主な理由となりますね。
ところが、本を読み進めていくにつれて、途中になって「実は、"マインドコントロール"というもの自体は善でも悪でもないのだ。なぜならば、私も"破壊的カルト"に入会してしまった信者を脱会させるためのカウンセリングの際に、"マインドコントロール"とまったく同じ手法を用いているからである」と言い出すのです。
さらには、「目的が善なのであればそれは"善なるマインドコントロール"であり、目的が悪なのであればそれは"悪なるマインドコントロール"であると考える。そして私は善なる目的で行っているから良いのだ」と主張し始めます。
そうして、最終的には「どうして"マインドコントロール"が非難されているかといえば、この"マインドコントロール"が悪となってしまうのは、それを行なう"カルト"自体が悪であるために、"マインドコントロール"をも悪になってしまうのである」としています。
つまるところ、「"マインドコントロール"によって"カルト"が悪になっている。けれど、"カルト"自体が悪であるのは、"マインドコントロール"を利用しているからである」といったように、完全な循環論法に陥ってしまっているのです。
"カルト"と"マインドコントロール"という二つの言葉は、双方とも曖昧であり分かりにくい概念であるため、お互いにお互いを定義し合っているような循環論法でしか結びつかないようになってしまうのですね。
今回は、その点についての簡単なご説明をしていきたいと思います。
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マインドコントロールと繋がるカルト
さて、話はマインドコントロールとカルトに戻ります。
まず最初に、ハッサンは「"カルト"というのは悪である。だがそれは"カルト"の信じる内容が問題になっているのではないのだ。信じる内容というのは信教の自由によって保障されているのであって、たとえどんなに変でおかしな教えであったとしても、それを信じる権利は誰にでもあるのだ」と、カルト信教の自由を尊重しているかのような言葉を語っています。
ですがこれは、「"カルト"は"マインドコントロール"を使うことで、個々の自由な意志を奪っていき、それから教えを伝道する・・・といった人権侵害を行なっているから悪なのである」と主張していると言えるのです。
この主張が彼らの"マインドコントロール"を非難するにあたる主な理由となりますね。
ところが、本を読み進めていくにつれて、途中になって「実は、"マインドコントロール"というもの自体は善でも悪でもないのだ。なぜならば、私も"破壊的カルト"に入会してしまった信者を脱会させるためのカウンセリングの際に、"マインドコントロール"とまったく同じ手法を用いているからである」と言い出すのです。
さらには、「目的が善なのであればそれは"善なるマインドコントロール"であり、目的が悪なのであればそれは"悪なるマインドコントロール"であると考える。そして私は善なる目的で行っているから良いのだ」と主張し始めます。
そうして、最終的には「どうして"マインドコントロール"が非難されているかといえば、この"マインドコントロール"が悪となってしまうのは、それを行なう"カルト"自体が悪であるために、"マインドコントロール"をも悪になってしまうのである」としています。
つまるところ、「"マインドコントロール"によって"カルト"が悪になっている。けれど、"カルト"自体が悪であるのは、"マインドコントロール"を利用しているからである」といったように、完全な循環論法に陥ってしまっているのです。
"カルト"と"マインドコントロール"という二つの言葉は、双方とも曖昧であり分かりにくい概念であるため、お互いにお互いを定義し合っているような循環論法でしか結びつかないようになってしまうのですね。