王宮・ホーフブルクの装飾
前回は、ウィーン空港に到着し、ホテル・ド・フランスにチェックイン。
リンク沿いに散策して、フォルクス庭園のエリザベート像を見たところまで書きました。
今回は、ここから王宮・ホーフブルクに向かいます。
フォルクス庭園の隣にあるのがヘルデン・プラッツ(英雄広場)。もう王宮の敷地内と言ってもいいですね。
その中心にあるのがカール大公像。ナポレオンと果敢に戦った軍人だそうです。1年たって写真左側が劣化してしまいました。
新王宮前のオイゲン公像は馬の尻尾が地面についていますが、それと向き合うこのカール大公像は馬の細い脚2本だけで立っており、バランスが絶妙です(劣化で尻尾が見えませんが)。
(11/25追記)グーグル・フォトのバックアップのおかげか、劣化していた写真が復活しました!青空に映える2本足のカール大公像、素敵ですね。↓
↓カール大公像の付近から眺めたホーフブルクの新王宮。新王宮は昨年も見ました。
ハプスブルク帝国末期に着工されましたが、完成はフランツ・ヨーゼフ1世の死や帝国終焉の後でした。
ここはヒトラーゆかりの場所でもあります。
1938年3月12日に国境を越えてオーストリアに侵入したヒトラーは熱狂的に受け入れられ、3月15日、ここ新王宮のバルコニーでドイツへの併合の演説をします。
ヘルデン・プラッツ(英雄広場)は文字どおりの英雄(当時)を迎え入れ、10万人とも20万人ともいう聴衆が熱狂したそうです。
ネットで当時のフィルムを見ましたが、カール大公像の台座によじ登って聴く人もいたり、すし詰めの大観衆。ドイツ国歌の大合唱もありました。ヒトラーの「この併合の真の価値は後の歴史家が判断するだろう」という一言は重く響きました。
3月15日のここでの演説の後、4月9日には先ほど通った市役所前でヒトラーの演説があり、その翌日の国民投票で圧倒的賛成を得て併合が正式に決まったのです。
この荘厳かつ広大な空間で起きた80年ちょっと前の出来事です。
ヘルデン・プラッツから一度王宮の外へ出て、ミヒャエル宮の正面に回りました。
去年も来たホーフブルクの入口、ウィーンの顔です。
1年ぶりでまた来ました!
ここ、ミヒャエル広場には今日もたくさんの馬車が並んでいます。
仰ぎ見る正面の入り口。
この回廊の右側には昨年も行ったシシィ博物館、銀器コレクション、皇帝居室があります。左側はおそらくスペイン乗馬学校です。
昨年、皇帝居室に行った時、シシィの体操室が工事中だったので、もう一度行って運動器具を見てきました。
皇帝居室など3博物館を見た後、上の写真の回廊の奥、王宮の中庭に。
歴史ある建物をバックに車と馬車が交錯する、現代ウィーンらしい風景です。
今回のブログの最初にも出しましたが、ミヒャエル宮の裏側を飾る美しい装飾です。
この先は、妻と私が一瞬別行動をします。妻は王宮内にあるプチ・ポアン(ウィーン刺繍)の店がお目当て。私は王宮最古の場所と言われるスイス宮を訪ねたいと思っていました。
妻をプチ・ポワンの店に送り届けて、スイス宮を探します。しかし、ろくに予習してこなかったので、スイス宮がどこなのか正確な位置は分からず。案内板を見ても…やっぱり分からず。
しかし、うろうろしていると、「王宮内最古」にふさわしいイメージの門に出会いました。下の写真です。
スマホで「スイス宮」を調べてみると、同じ写真が。やったー!これがスイス宮の入口・スイス門だそうです。
…最初に書き忘れましたが、前回の経験を踏まえ、今回は街中でネットのマップが使いたいなと思い、『イモトのWi-Fi』を持ってきました。割にリーズナブルなお値段で、どこでもネットにアクセスできて心強く便利でした。
ものの本(ネット)によれば、ホーフブルクはシェーンブルン宮殿と違って一度にまとまって建てられたものではなく、増改築が積み重なって非常に複雑な構造になっているそうです。
その最古の部分が建てられたのは13世紀。建てたのはハプスブルク家以前のオーストリアの支配者・バーベンベルク家か、その後のオーストリア公であるボヘミア王。いずれにせよハプスブルク家の前の時代です。バーベンベルク家とはこの翌日、ウィーンの森で出会うことになります。
その後、ハプスブルク家のもとで次々と増改築が進み、先ほどのミヒャエル宮は18世紀。新王宮はさらに新しく20世紀ですね。
マリア・テレジア時代にスイスの傭兵が守っていたことから「スイス宮」の名がついたとのことですが、ハプスブルク家はもともとスイスの出身であり、そのことも関係しているのでしょうか。
スイス門の天井画です。
スイス門をくぐって中に入りましたが、スイス宮はどこ?…よく分かりません。
あてずっぽうに何枚か写真を撮って、帰国してから解析しました。
下の写真の建物、階段の上り口に十字架があります。王宮礼拝堂だということが分かりました。地下には王宮宝物館があり、神聖ローマ帝国の帝冠などもあるそうです。
王室礼拝堂は15世紀の建物だそうです。それより古い13世紀の建物が現存しているのかいないのか、帰って調べてもよく分かりませんでした。
王宮礼拝堂では、ミサの讃美歌をウィーン少年合唱団が歌い、その伴奏をウィーン・フィルがするそうです。
ウィーン少年合唱団は、1498年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世によって創設された宮廷礼拝堂少年聖歌隊に端を発するそうです。
一方、ウィーン・フィルは19世紀の設立。帝国時代は宮廷音楽家たちが伴奏していたのでしょうね。
↓スイス宮の中庭の突き当りを右に曲がったあたり。増改築でいろいろな建物が寄せ集められていて不思議な風景です。歴史の迷路に迷い込んだみたいですね。
スイス宮を探して歩き回り、ある建物の階段を昇っていきました。美しい建物でしたが、誰もいないので不安になって途中で戻ってきました。これは何の建物だったんだろう…?
スイス宮探訪を終え、スイス門に帰ってきました。
スイス宮ってどこ?…異様に分かりにくいところで、現地にいる時は何も分かりませんでした。帰ってかなり調べてようやく少し分かってきました。
↓これが後ろ(スイス宮側)から見たスイス門です。門の向こうは先ほどの王宮中庭です。
王宮中庭から(ミヒャエル宮から見て)奥に進むと(上の写真の門の向こうを左折)、回廊の中にいくつかの店舗があります。↓
ここに妻のいるプチ・ポアンの店「Maria Stransky」もあるのです。
プチ・ポワンはウィーン特産の繊細な刺繍ですが、今では作る人も減ってしまったそうです。この店には、今の皇后陛下、雅子さまが結婚前に立ち寄られ、買い物をされたとのこと。
妻と落ち合い、下の写真の回廊をさらに進んで向こう側に行ってみると…
新王宮の間近に出ました。近くで見るとやはり威容を感じます。
フランツ・ヨーゼフ1世は国父と呼ばれるいい皇帝だったと思いますが、民族運動が強まり財政も厳しくなった帝国末期にこの壮大な新王宮を建てようとしたのはさすがに無理筋だったんじゃないかな…と素人ながらに思いました。
さて、ホーフブルク再訪を満喫し、再びミヒャエル宮の前へ。
今年もありがとうございました!幸い、コロナの影響も感じることなく楽しませていただきました!
ここで一旦、荷物を置きトイレ休憩するためにぶらぶら歩いてホテルに戻ります。
ミヒャエル宮正面から見たコールマルクト。人通りは…去年と同じくらいでしょうか。
ホーフブルクのすぐ前。前回は立ち寄ってザッハトルテを食べたカフェ・デメルです。
東京でも、池袋東武のデメルでザッハトルテとかアプフェル・シュトゥルーデルをたまに買うようになりました。
この時は本場の本店でいくつかお土産を。自分の家用にもザッハトルテを買いました。
デメルのお店の前からホーフブルクを振り返る。今回はもうここには来ないので、目に焼きつけます。
ミヒャエル宮からホテル・ド・フランスに向かうには、コールマルクトを少し歩いて左折します。
しばらく歩いたフライウンク広場にあるのが、オーストリア噴水。オーストリアと国内の4つの川(ドナウ、エルベ、ポー、ヴィスチュラ)を擬人化した5つの人物像があります。
…といったことは、帰ってきてかなり一所懸命調べてようやく分かりました。ウィーンには知られざる名所がたくさんありますね。
ここからさらにしばらく歩き、ホテルに着いて一服。今回はここで終わりにしましょう。次回は夕闇迫るカールスプラッツのあたりに向かいます。
ホーフブルク再訪。今回は最も古いスイス宮と最も新しい新王宮を対比してみましたが、巨大で複雑なこの王宮にはまだまだ知らない魅力がありそうです。
ウィーンの旅はまだまだ始まったばかりです。
【今日のBGM】
・ブルックナー 交響曲第8番
シューリヒト指揮 ウィーンフィル(ライブ)
・前回に引き続いて、ブルックナーの名曲・交響曲第8番です。
・シューリヒトは私の大好きなブルックナー指揮者で、ウィーン・フィルを振った第8番のスタジオ録音(上記写真右)は名盤として知られています(この欄でも書いたと思います)。その録音の前後に行われたライブの演奏が今回のCDです(上記写真左)。
・私がシューリヒトのブルックナーで大好きなのはウィーン・フィルの第5番(1961年ライブ)で、あの重厚長大な第5番をここまで軽々と振り回し天衣無縫な音楽に表現できるのかと手に汗握り嘆息しました。
・この第8番も、スタジオ録音より振幅が大きく、天衣無縫です。ライブならではの躍動感や、細かい傷は気にせずやや乱暴に音をぶちまけるエネルギーはスタジオ録音では聴けない魅力です。
・このライブとの聴き比べで、久しぶりにスタジオ録音のCDを聴きました。かつてEMI、今はワーナーから出ている名盤です。聴いてびっくり!音がいい!飛び出すような勢いのある演奏!(ライブほどではないが)大きな振れ幅!忘れていたものを思い出させてくれました。
・同じウィーン・フィルのライブでも、前回のクナッパーツブッシュの骨太さとはかなり違った印象であり、こうした聴き比べは何度やっても楽しいものです。