明治150年!~薩長土肥そして福岡 | 福岡日記+(プラス)

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転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

今年は明治維新(1868年)から150年です。

 

昨年まで九州にいて、佐賀や鹿児島で「来年は明治150年だ!」といった声を多く聞きました。

 

今回は、九州にいた時などの写真を並べて、東京から「明治150年」を祝いたいと思います。薩長土肥そして福岡の順に、人物像を中心に並べていきます。

 

 

【薩摩】

 

薩摩で明治維新と言えば「西郷どん」が有名かもしれませんが、今回は敢えて大久保利通から行きましょう。鹿児島市内の像で、西郷像に比べると人気がないとも聞きますが、明治国家樹立の第一人者です。

 

 

 

 

こちらは同じ鹿児島市内の西郷隆盛像。これはみんなが知っている大人気の像です。

 

西郷隆盛像

 

 

 

一方こちらは、鹿児島中央駅前にある群像です。彼らは、1865年(鎖国中)に藩命でイギリス渡航した19名です。朝ドラでディーンフジオカが演じた五代友厚や初代文部大臣・森有礼がいます。明治を作り、支えた人々ですね。

 

 

 

 

幕府軍を打ち破る薩摩藩の富国強兵を担った「集成館」跡は、桜島を望む海辺にあります。鹿児島沿岸に配備されていた150ポンド砲(復元)が置かれていました。

 

150ポンド砲

 

 

 

 

【長州】

 

次は長州藩です。福岡から東京に帰り、今年に入ってから出張で下関に行ったら、明治150年を記念して「維新発祥の地 下関」の飾り物がありました。この絵で馬に乗っているのは誰…?

 

 

 

 

きっと高杉晋作でしょう。晋作が1864年に蜂起した下関の功山寺にある像です↓。功山寺には、京都を追放された三条実美ら長州派五卿が潜居していた部屋が今も残されており、見てきました。

 

高杉晋作

 

 

 

晋作蜂起の背景には、1863年に長州藩が外国船を砲撃し、結局敗れた「下関戦争」があります。現場の関門海峡・壇ノ浦に置かれた模擬砲です。ここは平家滅亡の地でもあります。

 

壇ノ浦砲台跡

 

 

 

【土佐】

 

土佐藩で有名なのは坂本龍馬ですね。桂浜で太平洋を見つめる像が有名です。

 

龍馬像

 

 

 

福岡在勤中に高知を訪ねたら、駅前広場に昔はなかった三人の像がありました。龍馬も参加した土佐勤王党の盟主・武市半平太(左)、龍馬の海援隊と並ぶ陸援隊の隊長で龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎(右)、真ん中は龍馬です。

 

 

 

 

鹿児島の霧島には龍馬ゆかりの地があります。奥さんのお龍とともに新婚旅行に訪れた塩浸(しおひたし)温泉です。「日本初の新婚旅行」とも言われています。

 

塩浸温泉竜馬像

 

 

 

もう一人、土佐と明治維新と言えば、三菱の総帥・岩崎弥太郎です。これは、三菱重工業長崎造船所にある像です。

 

 

 

 

【肥前】

 

肥前佐賀藩は、薩長土肥の中ではやや目立ちませんが、反射炉や造船の技術で明治維新に大きく貢献しました。明治150年を記念して佐賀城前に新たに作られた藩主・鍋島直正公の像です。

 

 

 

 

佐賀城内のオランダ製モルチール砲。直正公は、こうした大砲を作るための反射炉づくりに心血を注ぎました。

 

モルチール砲

 

 

 

世界文化遺産に登録された「三重津海軍所跡」。1865年、国産初の蒸気船「凌風丸」がここで完成しました。

 

三重津海軍所跡2

 

 

 

もう一人の佐賀の傑物・江藤新平。初代司法卿を務めたのち、西郷隆盛とともに政府を去り、「佐賀の役」で蜂起し斬首されますが、佐賀の多くの方は今でも敬愛しています。佐賀駅近く、鍋島家別邸跡の公園に像があります。

 

江藤新平像

 

 

 

【サムライの世の終わり~西南戦争】

 

江戸時代=サムライの時代が名実ともに終わり、実質的に明治時代=近代が始まったのは、最後の内戦・西南戦争(1877年)の終わった時でしょう。

 

西郷隆盛が蜂起し、大久保利通が鎮圧する側となったのが西南戦争です。

 

西郷軍は蜂起後に官軍の拠点・熊本城を包囲。これが約2か月続きました。↓熊本地震前の熊本城は、抜けるような秋空に映えていました。

 

熊本城3

 

 

 

熊本城に救援に向かう官軍と西郷軍が激突した熊本県の田原坂(たばるざか)。訪れたのは暑い夏の日でした。

 

 

 

 

「雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」という官軍側の歌が、夏には想像できない悲惨な戦場を物語っています。

 

 

 

 

熊本城の包囲が解かれた後、戦線は拡散。宮崎県高千穂官軍墓地は、落ち葉に埋もれていました。

 

 

 

 

上野の西郷さんの像です。新政府を作った後、西南戦争で政府を相手に戦い抜いた西郷さんは、サムライの世を一身に背負ってあの世に旅立ったのかもしれませんね。

 

 

 

 

悲惨な西南戦争から、新しい時代の動きが始まります。佐賀藩の三重津海軍所の責任者をしていた佐野常民は、敵味方の区別なく負傷者を救護する「博愛社」を設立。のちの日本赤十字です。像は三重津海軍所跡のすぐ横にあります。

 

佐野常民像

 

 

 

【福岡と明治維新】

 

では、私が2年間お世話になった福岡は、幕末維新にどうかかわったのでしょうか。

 

まず太宰府天満宮。長州の功山寺に潜居していた三条実美ら長州派五卿は、1865年から3年間、福岡藩預かりとなり、太宰府天満宮に幽閉されていました。その間、西郷隆盛、高杉晋作、中岡慎太郎、江藤新平らがここを訪れて、作戦会議をしたそうです。

 

太宰府天満宮

 

 

 

高杉晋作が功山寺で蜂起する直前、長州藩を一時追われた際にかくまわれたのが、福岡の平尾にある平尾山荘。そのほかにも多くの勤王志士がかくまわれました。

 

 

 

 

山荘の主が野村望東尼。勤王活動がとがめられ、1865年に糸島の姫島に流刑になりましたが、高杉晋作の指示で救出されて下関へ。その後、病没した晋作の最期を看取ったといいます。

晋作の辞世の句 「おもしろき 事もなき世に おもしろく」

望東尼の下の句 「住みなすものは 心なりけり」

 

 

 

 

明治維新の後、1876年に福岡の旧秋月藩士による秋月の乱が起きます。こうした士族の反乱は翌年の西南戦争で終わり、武士の世は名実ともに終わります。私が訪れた秋月は、新緑がただただ美しく、心を癒してくれました。

 

秋月5

 

 

 

【福岡と殖産興業】

 

福岡は、明治の殖産興業でも大きな役割を果たします。近代化のエネルギー源、石炭。筑豊のほか、ここ大牟田三井三池炭鉱が有名です(写真は世界文化遺産となった宮原坑)。

 

 

 

 

石炭積み出しのために整備された三池港(世界文化遺産)。干満の激しい有明海に面しているため、パナマ運河のような閘門を備えた最新鋭の港が作られました。

 

三池港2

 

 

 

これらの施設を作ったのが、團琢磨。元福岡藩士で修猷館出身。岩倉使節団(1871年~)で渡米し、鉱山学を学んで三井三池炭鉱に入り、事業を成功させて三井財閥の総帥にまで上りつめた人です。新幹線新大牟田駅前に像があります。

 

団琢磨像

 

 

 

私が福岡にいた時、社宅近くの中央区荒戸を歩いていたら、↓こんな表示がありました。團さん、荒戸の人だったんですね。ちょっと身近に感じられました。因みに、オペラ『夕鶴』等で有名な作曲家の團伊玖磨は、琢磨の孫です。

 

 

 

 

明治国家を作るため、いろいろな人がそれぞれの役割を果たしたことが分かりますね。もちろん、こういう人たちの周囲に、それを支えたり、その犠牲になったりした人々も多くいたことでしょう。それらが全て時代を作っていったのですね。

 

明治だけでなく、日本史のいろいろな時代にそれぞれの地域が果たした役割や、そこにいた人々の苦労を振り返ってみるのも意義深いと思います。

 

 

 

【今日のBGM】

・ブルックナー 交響曲第3番(ノヴァーク版第1稿)

 ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ

・前回ブログでも書いたように、ブルックナー第3番の第1稿は、最終稿にはない面白さがあります。この交響曲はワーグナーに献呈され、副題も「ワーグナー」というのですが、最終稿ではワーグナー的な要素はあまり感じられません。第1稿には、第1・2楽章にワーグナー風の旋律が割とはっきり聞こえ、なるほどなあと思います。

・前回のBGMコーナーで取り上げた第8番第1稿は、最終稿を前にすると「完成度が低い」という感じですが、この第3番はワーグナー旋律があったり最終稿とは一味違う風景が見えて、聴いていて面白いなあと感じる部分もあります。

・このため、第8番と同じインバル指揮のほか、ノリントン指揮のCDも買いました。ノリントンは古楽器奏法を活かして時に革新的な演奏を聴かせる指揮者で、このCDも早いテンポの切れ味鋭い演奏です。

(左:インバル指揮フランクフルト放送交響楽団1982年録音、右:ノリントン指揮LCP1995年録音)