(大浦天主堂 長崎市 2015年6月撮影)
6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されることが決まりました。
キリシタン関連遺産は、私が福岡にいた一昨年に世界遺産候補となりながら先送りとなり、ストーリーや構成資産の組み換えを行って今回の決定に至りました。
本当によかったですね!
福岡にいた2年間、キリシタン関連遺産には興味を持って何度となく見に行きました。その時の写真を使いながら、世界遺産のストーリーだけでなく、構成資産から漏れた教会や九州におけるキリスト教史等も含めて紹介したいと思います。
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序章 キリスト教の伝来と布教 ~鹿児島、平戸、大分
今回の世界遺産の構成資産ではありませんが、その前史として、九州から始まった日本へのキリスト教伝道について。
日本にキリスト教が伝えられたのは1549年。イエズス会のフランシスコ・ザビエルによってです。ザビエルが上陸した鹿児島の市内には、その記念碑がありました(2015年8月撮影)。
その後、ザビエルは一時、今の長崎県平戸に移ります。平戸では信者が増えてその後潜伏キリシタンになった者も多く、今回の世界遺産の構成資産も2か所あります(私は行けませんでしたが)。
↓この写真の奥に見えるのは、平戸ザビエル記念教会の尖塔です。手前の寺と奥の教会が重なる平戸ならではの風景です(2016年4月撮影)。
ザビエルの日本における最後の地は大分(豊後国府内)です。大友宗麟↓(大分駅前、2015年11月撮影)はキリシタン大名となってザビエルを保護。ザビエルは布教活動とともに西洋文化の紹介にも努めました。しかし同時に、大友家臣団の分裂を招き、神社仏閣の破壊等をもたらすことにもなりました。
↓下は、ザビエルが大分の子供たちに音楽を教える「西洋音楽発祥の地」碑です(大分市、2017年8月撮影)。
第1章 キリシタン潜伏のきっかけ ~原城跡
ここからが世界遺産の領域です。
豊臣秀吉のバテレン追放令(1587年)や江戸幕府による禁教令(1614年)が出された後の1637年、島原・天草のキリシタンが圧政と飢饉に対して蜂起、島原の原城跡に立てこもりました。
原城跡にある首領の天草四郎の像です(2016年9月撮影)。
城跡に立つ十字架。
天草四郎の墓です。
この「島原・天草一揆」に衝撃を受けた幕府は、対外的には宣教師が乗ってくるポルトガル船を追放し、対内的にはキリシタンの探索と棄教の強制が進みます。
そうした意味で、原城跡はキリシタン潜伏のきっかけを作った場所なのです。
1644年には最後の宣教師が殉教し、キリシタンはカトリック教会の指導なしに信仰を続けていくことになります。
第2章 潜伏キリシタンのひそやかな信仰 ~天草の崎津集落
今回の世界遺産では、17世紀後半以降、潜伏キリシタンが信仰を実践するための試みを5つの構成資産によって示しています。
その一つが天草の崎津集落。この漁村では、貝殻の内側の模様をマリア像に見立てて拝むなど、潜伏キリシタンのひそやかな信仰が続いてきました。
↓崎津諏訪神社から眺める崎津教会。崎津諏訪神社は、潜伏キリシタンが密かにオラショを唱えた場所です。
そして現在の崎津教会は、絵踏みが行われた庄屋役宅跡に建てられました。
私が家族とともに崎津集落を訪れたのが2016年8月。天草エアラインのモニターツアーでした。海と漁村に溶け込むような教会の姿がとても素敵でした。
この時期の幕府は一時期よりも取り締まりが緩やかで、キリシタンを見逃したこともあるそうです。こうしたスタンスも、潜伏キリシタンが信仰を続けていけた背景となったのでしょう。
第3章 新天地への移住 ~久賀島の集落
潜伏キリシタン関係遺産の次の括りは、新天地への移住に関連する4構成資産です。
1897年、耕地不足と産児制限をしないキリシタンの人口増加に悩む大村藩と開拓者不足に悩む五島藩が協定を結び、多くのキリシタンが五島列島に移住しました。その一つが上五島の久賀島です。
大村藩の外海地区のキリシタンの一部は久賀島の未開拓地に移住し、農業、漁業で仏教徒と互助関係を築きながら生活したそうです。
私は2015年10月、世界遺産ツアーで水上タクシーに乗り、上五島の島々を訪れました。久賀島の旧五輪教会堂は1881年に創設された木造の教会堂で、長崎県の教会堂としては大浦天主堂に次ぐ古さです。
この教会堂はもちろん禁教期のものではありませんが、潜伏キリシタンが守ってきた信仰を包み込むように、木造の温かい建物がひっそりと立っていました。
第4章 信徒発見と潜伏の終わり ~大浦天主堂、江上天主堂
(1)大浦天主堂
江戸幕府の開国により長崎に外国人居留地ができ、1864年、外国人のために大浦天主堂ができました。翌年、浦上村の潜伏キリシタンがここを訪れ、「信徒発見」となったのです。
しかし、日本人に対する禁教政策は続いており、1873年に解禁されるまで、江戸幕府、明治政府による弾圧は続きました。
2015年6月に行った時、大浦天主堂は木々に埋もれ、くすんだ色をしていましたが、最近の映像を見ると、木々は見えず、天主堂は真っ白に塗り替えられて、見違えるようです。私はこのくすんだ感じも好きですが…。
(2)江上天主堂
この時期を示すもう一つの構成資産が江上天主堂です。上五島の奈留島にあり、ちょうど100年前の1918年に建てられました。江上集落の民家にも通じる伝統的工法と天主堂としての西洋的特徴が融合していることが評価されたそうです。
私は2015年10月にここを訪れました。博多港から夜行フェリーで明け方に上五島に着き、朝日に映える江上天主堂を見ることができました。
このように、世界遺産は「潜伏キリシタン」というストーリーに乗ったいくつかの構成資産でできています。「ストーリー」と「それを示す構成資産」の組み合わせが大事なんですね。
付章 ほかにもあるキリスト教遺産
せっかくなので、世界遺産以外のキリスト教遺産にも注目しましょう。
(1)浦上天主堂
まずはじめは浦上天主堂です。浦上村の潜伏キリシタンが「信徒発見」された後も弾圧は続き、浦上の信者は拷問を受け各地に配流されました(浦上四番崩れ)。解禁後、弾圧の現場であった庄屋宅の跡地に建てられたのが浦上天主堂です。
2015年10月に行った浦上天主堂は、真っ青な空に映えていました。
浦上天主堂で忘れられないのが原爆です。長崎の原爆はこのすぐ近くの上空で炸裂し、その時破壊され崩落した鐘楼が当時のままに残されています。
また、浦上天主堂の近くにある爆心地の碑(写真左側)のすぐ横には、廃墟となった天主堂の遺構の一部が残されています(写真右側)。
(2)田平天主堂
次は、田平(たびら)天主堂です。2016年4月、佐世保から松浦鉄道に乗って平戸に向かう途中に寄りました。
田平天主堂は、私が訪ねた頃は世界遺産「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産候補でしたが、「対象を禁教期に絞るべき」との勧告を受けて2年間先送りになった際、構成資産から外されてしまいました。
確かに、禁教期の「潜伏キリシタン」のストーリーとは直接関係ありませんが、地域に根付いてキリシタンの信仰を支えてきた意義は全く変わらないと思います。
海辺の美しい天主堂でした。
(3)堂島天主堂
もうひとつは、2015年6月に訪れた五島列島の福江島にある堂島天主堂です。生まれて初めて五島列島に行って見た海も教会も、とても美しかった!…そして地魚の刺身定食の大盛りで安くて美味かったこと!
ここは、明治のキリスト教解禁後、五島列島で最初に建てられた教会です。
施工は鉄川与助。五島生れの大工の棟梁で、当時の九州における教会建築の第一人者です。ここのほか、江上天主堂、田平天主堂、崎津教会、浦上天主堂など多くの教会の建築に携わりました。
生涯仏教徒だった与助の貢献は、潜伏キリシタンが周辺の仏教徒と協調しながら生き延びてきた歴史と重なるものがありますね。
(4)海に祈るキリスト・マリア像
最後に、海に祈る像を二つ。
一つ目は、上五島の若松島にあるキリシタン洞窟の十字架とキリスト像です。
明治に入ってもキリシタン弾圧は続き、1868年には「五島崩れ」という弾圧が五島列島の各地で起きました。その時、若松島の洞窟に数人のキリシタンが逃げ込みましたが、発見されて拷問を受けました。その洞窟の外に、1967年、十字架とキリスト像が建てられました。
2015年10月、博多から夜行フェリーで上五島の中通島へ。橋で若松島に渡り、海上タクシーでこのキリシタン洞窟を眺めたのは早朝です。海上タクシーで奈留島の江上天主堂、久賀島の旧五輪教会を見学したあと、福江島に渡り、高速艇で長崎に戻って浦上天主堂に赴きました。心震えるキリシタンツアーでした。
二つ目は、天草の崎津教会に行った時に見た「海のマリア像」です。1974年にできたもので、海の玄関口の岩場に立ち、漁船の安全と豊漁を祈ってくれているそうです。
紆余曲折を経て日の目を見た潜伏キリシタンの信仰を象徴しているようですね。
潜伏が終わった後も、キリシタンたちは、カトリックに復帰するのか、独自に発展した自分たちの教えを続けるのか、いろいろな道がありました。信者間での争いに発展する例もあったそうです。
あまりに壮大な歴史の流れとそれに翻弄されたキリシタンの運命ですが、世界遺産をきっかけに、歴史の重い事実をしっかり噛みしめたいものですね。
【今日のBGM】
・マグシー・スパニア
アンド・ヒズ・デキシーランド・バンド
・前回に続きデキシーにしようか、キリシタンに因んで宗教音楽にしようか悩みましたが、よく考えたらデキシーもキリスト教音楽の流れなので、デキシーにします(デキシーの名曲「聖者の行進」なんてモロにキリスト教ですよね)。
・本文にザビエルが音楽を教える「西洋音楽発祥の地の碑」というのがありましたが、西洋音楽のルーツは多かれ少なかれキリスト教なんでしょう。
・さて、前回に続くデキシーランド・ジャズの2回目は白人によるデキシーです。このマグシー・スパニアのCDは、ネットで「デキシーランド・ジャズ」を検索して出てきた数少ないCDで、よく分からず買いました。
・聴いてみると、ルイ・アームストロング(サッチモ)の音楽と印象はそんなに違わないソウルフルなものでした。どうもこの人は白人ながらサッチモに近い演奏スタイルのようです。
・敢えて言えば、サッチモが「いろいろな楽器が異なるメロディを弾くバッハの対位法のような感じ」なのに対し、スパニアは「楽器がハモッたり交互にメロディを弾くノーマルな感じ」という違いでしょうか。まだまだデキシーの奥は深いですね。


























