九州最後の旅~瀬戸内の回天基地 | 福岡日記+(プラス)

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転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

福岡から東京に戻って6月で2年。福岡在勤時の旅行記も今回でいよいよ幕を閉じることになりました。

 

福岡在勤中の最後の旅。それは、2017年5月、山口県周南市の大津島への日帰り旅行でした。

 

大津島は、太平洋戦争で使われた海軍の特攻兵器「回天」の基地跡が残されている島です。

 

 

 

 

この時、5月の連休が転勤前最後の旅行だと思い、連日出歩きました。

 

①4月29日:三菱重工業長崎造船所(前々回ブログ)

②4月30日~5月1日朝:南阿蘇+高森(2017年6月26日ブログ)

③5月1日:山口県周南市大津島(今回ブログ)

 ――3~5日は博多どんたくとかジャズライブの練習とかでした。

 

②は、南阿蘇や高森は熊本地震からの復興の話だったので、東京に帰ってすぐにブログに書きました。

 

九州にいる間に何としても大津島に行きたかったので、最後のチャンスに高森で超絶早起きして、強行軍の旅行になりました。

 

今回は、かなりシリアスな話になります。

 

 

 

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まずは前日の話から。

 

行こうと思った矢先に熊本地震で交通手段がなくなってしまった南阿蘇。アクセス道路の整備と南阿蘇鉄道の一部運転再開を待って訪問しました。

 

4月30日、熊本からバスで南阿蘇に入り、南阿蘇鉄道と有名な白川水源を見ました。

 

 

 

 

多くの漫画家が熊本復興のために一役買ったラッピング列車。見て感動しました。

 

 

 

 

その後、南阿蘇鉄道の終点・高森にある高森湧水公園を訪問。

 

 

 

 

ここは、旧国鉄高森線(今の南阿蘇鉄道)から高千穂線(台風で廃線となり今はトロッコ列車高千穂鉄道)への延伸工事を行っていましたが、激しい湧水でトンネル工事を断念した場所です。熊本の水の豊かさは自然の厳しさでもあるのですね。

 

 

 

 

近くの日帰り温泉「高森温泉館」に入ったあと、阿蘇を南から見ながら歩いて宿へ。

 

 

 

 

連休でようやくとった宿は高森からかなり離れた森の中でした。

 

 

 

 

それでも、古民家風の風情ある建物で貸切温泉を満喫しました。屋根裏部屋でしたが…。

 

 

 

 

ここまでが前日の出来事。ここから本題が始まります。

 

***

 

 

 

5月1日は早朝5:45高森中央発のバスに乗れば大津島まで行けます。4時に起き、まだ真っ暗ななか迷いながらバス停まで歩いて1時間。熊本までバスで2時間。熊本から新幹線で徳山に着いたのは10時前でした。

 

徳山は今は周南市になったのですね。周防の南部ということですね。

 

徳山港の眺めです。

 

 

 

 

大津島行きのフェリーです。

 

 

 

 

フェリーから見た徳山の臨海工業地帯。

 

 

 

 

40分ほど乗ると大津島の馬島港に着きました。

 

 

 

 

ここ大津島は、旧海軍の「回天」の訓練基地跡が残っている場所です。

 

回天は魚雷を改造した海の特攻兵器です。潜水艦に搭載され、敵艦船の近くで発射されて体当たり攻撃します。

 

馬島港から回天訓練基地を目指して歩きます。暫くすると、回天の輸送トンネルが見えてきました。

 

 

 

 

回天といえば、暫く前に映画「出口のない海」に描かれていました。私は映画は観ていませんが、東京に帰ってから原作の小説は読みました。

 

 

 

 

トンネルの中に入ります。特攻兵器を運ぶコンクリートのトンネル…歩くだけで緊張します。

 

 

 

 

途中、逆方向から来る回天と離合する場所も作られています。床には撤去されたレールの跡が残っています。

 

 

 

 

トンネルの出口。海を見るとなぜかほっとします。

 

 

 

 

通路の向こうに回天の訓練基地が見えてきました。

 

 

 

 

この基地は、もともと魚雷の発射試験場として1939年に作られ、1944年から回天の訓練基地として使われました。

 

 

 

 

こうした回天の訓練基地跡が残っているのは、全国でもここだけだそうです。

 

 

 

 

正面から見た姿。何の飾りもないコンクリートの塊が、過去の重すぎる歴史を語っています。

 

 

 

 

↓魚雷が発射された窪み。回天は人が乗るので大きく、この窪みには入らなかったようです。

 

 

 

 

今は静かな海に浮かぶコンクリートの基地。当時はいろいろな人がいろいろな思いを抱きながら、あるいはその思いを封印しながら、このあたりを行き来していたのでしょうね。

 

来た道を戻り、トンネルの入り口へ。脇には、「魚雷発射場跡」と書かれています。

 

 

 

 

トンネルを抜け、回天記念館に向かいます。正面が1968年に開館した記念館です。

 

 

 

 

エントランスには、回天で亡くなった搭乗員らの名前がプレートに刻まれています。

 

 

 

 

記念館横に立つ回天の碑。

 

 

 

 

記念館には、回天に関する資料や遺品などが展示されています。

 

↓回天の基地配置図。基地はやはり九州・中四国に多いですね。

 

私がそもそも大津島に来たいと思ったきっかけは、大分県日出(ひじ)町の大神回天基地でした。この基地に行こうとしたら、大分の知人から「大津島に回天基地の施設が残ってるよ」と教えてもらったのです。

 

因みに、「出口のない海」の舞台となったのは、大津島のすぐ近く、山口県光市の光基地です。

 

 

 

 

↓亡くなった搭乗員の遺書も展示されています。

 

黒木少佐は、訓練艇が海底に沈み、酸素欠乏で亡くなるまでの間、ノートや艇の壁に事故の詳細や要改善点などを綴ったそうです。回天は海底に沈むと水圧で脱出できないのです。想像を絶する空間と時間ですね。

 

「出口のない海」の並木少尉を思い出させます。

 

 

 

 

記念館の外には、亡くなった方の辞世の言葉等が碑になって紹介されています。

 

 

 

 

記念館の横には、特攻兵器「回天」そのものも展示されています。

 

 

 

 

搭乗員はどのような姿勢で乗るのでしょうか。どのような思いで訓練に向かったのでしょうか。

 

 

 

 

この時とは別ですが、広島県呉の大和ミュージアムに行った時にも回天を見ました。その時の写真です。

 

 

 

 

近景↓。大津島のものとは型が異なり、こちらは搭乗員の乗る場所が分かります。いずれにせよ、想像を絶する兵器です。

 

 

 

 

回天記念館と先ほどの回天訓練基地の間に、回天整備工場の跡があります。戦後に大津島小学校となり、今は休校となっています。

 

当時からあったコンクリート壁の向こう側が整備工場跡です。フェリーが着いた馬島港も遠くに見えます。

 

 

 

 

旧大津島小学校の校庭には、整備工場の施設が残っています。これは変電所跡です。子供たちのいない学校の跡地にツツジが美しく咲いていました。

 

 

 

 

馬島港まで戻ろうと歩いていると、海の向こうに先ほどの回天訓練基地が見えました。まだ時間もあるので、行ってみましょう。

 

 

 

 

先ほどの輸送トンネルができる前は、この海岸の道が輸送路だったそうです。

 

母なる海、打ち寄せる波、生命の緑、その向こうには、時間の裂け目から今に姿を現したようなコンクリートの回天基地が…。

 

 

 

 

暫くじっと見つめたあと、馬島港に戻ってきました。ここは「回天の島」なのですね。

 

 

 

 

フェリーに乗って島を後にします。強行軍でしたが、東京からはなかなか来にくいところなので、九州にいる間に来られてよかった!

 

 

 

 

徳山港に戻り、日常の中に帰ってきました。高ぶっていた気持ちも次第に落ち着いてきます。こうした日常も、これまでの歴史の上に…さらに言えば戦争の惨禍の上に成り立っているんですね。

 

 

 

 

東京に帰ってから「出口のない海」を読みました。私は、この本は非常に冷静に戦争を描いた本だと思いました。作者の考えや立ち位置を押しつけることなく、戦争について考える機会を読者に与えてくれます。

 

戦争の重い歴史。大津島の回天基地を見て抱く感想は人それぞれだと思います。一つ言えるのは、足を運んでしっかり自分の眼で歴史の現場を見た方がいい、ということです。

 

機会があったら是非行ってみてください。

 

***

 

 

 

福岡在勤中の九州旅行記はこれで終わりです。でも、このブログはまだ続きます。内容は福岡での日記ではなくなりますが、ブログのコンセプトは変わらないので、タイトルも変えなくていいですよね。

 

これからも、九州在勤時の写真やエピソードはこのブログに数々登場してくると思います。

 

福岡に2年間住み、九州を見て歩いたことは、私の人生に数限りない糧を与えてくれました。この歳になって九州に行けて本当によかった。感謝です!

 

 

 

【今日のBGM】

・竹内まりや

 Denim とくに「返信」、「人生の扉」

・竹内まりやは大好きですが、「偉大なるマンネリ」とも言われるように基本的に同じ路線をずっと進んでいるので、最近のアルバムは買っていませんでした。

・しかし、出張の飛行機の音楽プログラムで「人生の扉」を聴いてびっくり、感動…涙がボロボロ流れてしまいました(周囲の人が見たら不審に思ったかもしれません)。歳をとることの意味を考えさせてくれる曲です。

・帰って早速買ったアルバム「デニム」。その中に映画「出口のない海」の主題歌「返信」が収録されており、原作小説を読むのとちょうど同じ時期に聴くことになりました。海底に沈んだ回天訓練艇の中で並木少尉が書いた恋人への遺書…それへの「返信」ということなのでしょうか。ちょっと勇気がいりますが、いつか映画も観てみたいと思います。