(水城跡 福岡県太宰府・大野城・春日市)
久し振りに「福岡日記」らしく九州散歩に戻りましょう。
2017年1月の週末、この日は博多座でミュージカル「天使にラブ・ソングを」を観ていたのですが、どうしても行きたい場所があって、1幕を楽しんだあと博多座を飛び出しました。
行きたかった場所は「水城(みずき)」。日本書紀に登場する城です。日本史で習った「白村江の戦い」の敗戦の後、大宰府防衛のために造られた城が今も残っている…歴史のロマンですね。
同じ時期に造られた対馬の「金田城(かねたのき)」の訪問記はまた書きますが、この二つは特に印象深い「九州古代史ロマン旅」でした。
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博多からJR鹿児島本線で約20分、その名も「水城」という駅があります。
水城とは、博多湾から進撃してきた敵から大宰府を守るため、進軍路である大宰府手前の山と山の間に長さ約1.2キロの巨大な土塁を築いたものです。
それは当然、近代交通の邪魔になり、JR鹿児島本線の所と、西鉄大牟田線、九州自動車道の所で突き崩され、分断されています。
因みに、江戸時代の幹線、長崎街道は「小倉→飯塚→佐賀」のルートであり、博多・水城を迂回しています(意図的かどうか分かりませんが)。
JR水城駅を降りたすぐ近くに水城の断面があります。高さは10メートルほどです。
水城を造るきっかけとなった「白村江(はくすきのえまたははくそんこう)の戦い」とは、百済を滅ぼした唐・新羅連合軍と倭(日本)・百済再興軍が663年に朝鮮半島で戦い、日本側が大敗したものです。
その後、連合軍が攻めてくるのを恐れた天智天皇は、664年に水城(福岡県)を、665年に大野城(福岡県)、基肄城(福岡・佐賀県)を、666年に金田城(長崎県対馬)を造りました。
JR水城駅近くの大宰府側から水城を眺めてみましょう。右端に見えるのが西鉄、九州自動車道で、あそこでも水城が分断されています。
日本書紀によれば、「筑紫の国に大堤を設け、水をたたえて水城と名付けた」そうですが、実際に水が張られたのか疑問視する説もあるようです。
唐・新羅連合軍は結局攻めて来ず、水城だけが当時の緊張感を今に伝えています。
水城のあるのは太宰府市、大野城市、春日市という福岡通勤圏の住宅地のど真ん中。住宅地を分断するように水城が続いています。
水城に登ってみましょう。うっそうとした木々…これだけ見ると、ただの雑木林のようですが、これが水城のてっぺんです。
水城の大宰府側。家のすぐ横はこんもりとした森です。かつては内堀があったと言われています。
水城の切れ目。昔からある「西門」の跡だと思うのですが、看板等は見つかりませんでした。
西門跡?を抜けて、水城の博多側に回ってみます。造った当時、木はなかったのでしょうが、幅60メートルの外堀があったとも言われ、鉄壁の守りです。
水城は歴史的に貴重な存在なのに、その意義を語る施設がないのは残念だなあと思っていました。しかし、私が水城に行った3か月後の2017年4月に「水城館」という施設が誕生したそうです。「続日本100名城」のスタンプもあるそうですよ。
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大野城(おおののき)-水城-基肄城(きいじょう)が大宰府の防衛ラインでしたが、天智天皇は、そのほか大宰府につながるありとあらゆる道や平野を「小水城」といった土塁で固めようとします。
その一つが、佐賀県基山町にある『とうれぎ土塁』。博多湾ではなく有明海から敵が来ることを想定したのでしょうか。
日を改めて行ってきました。水城駅からJR鹿児島本線でさらに20分ほど南下したところに基山駅があります。駅から歩いてすぐの場所。これだけ見るとちょっとした盛り土のようですが、これも古代史ロマンの一つなのです。
土塁の上には解説板と石碑が。石碑には『大行神』と書いてありましたが、行神とは中国で道を守る神だそうです。中国との戦いの危機は去り、いつしか中国の神が道中の安全を見守ってくれるようになったのでしょうか。
天智天皇や古代の人たちが大宰府を守ろうと必死で作った水城や数々の土塁。これらを見ると、古代史が目の前に広がり、当時の朝鮮半島との関係や古代人の緊張感が今に伝わってくるような興奮を感じますね。
因みに、「大宰府」は古代の役所、「太宰府」は現在の地名の意味で使っています(天満宮は「太宰府」です)。
対馬の金田城もお楽しみに。
【今日のBGM】
・ウィングス 「ヴィーナス・アンド・マース」
・前作「バンド・オン・ザ・ラン」に次ぐポール・マッカートニーのアルバムです。バンド名を「ポール・マッカートニーとウィングス」から「ウィングス」に変えたのは、バンドとしての自信ができてきたからでしょうか。1975年、私が中学生の時の発売です。
・私は前作「バンド・オン・ザ・ラン」にほぼ匹敵するポールの傑作だと思います。最初の「ヴィーナス・アンド・マース」から「ロック・ショウ」へのワクワクするメドレーから、最後の「トリート・ハー・ジェントリー~ロンリー・オールド・ピープル」のしみじみとしたバラードまで、完成度は前作を上回るでしょう。「コール・ミー・バック・アゲイン」は、ニューオーリンズ録音で黒人音楽のルーツに触れようというポールの意図を感じさせるソウルフルなナンバー…好きです。
・最近このコーナーではポールのソロアルバムを4枚(McCartney, RAM, Band on the Run, Venus and Mars)紹介しましたが、どれも珠玉の名品です。
【終わりに~九段中とビートルズ】
・「ヴィーナス・アンド・マース」が発売された頃、私は千代田区の九段中学校に通っていました。今週末、たまたま九段中の同窓会があり、友人に誘われて本当に久々に母校に顔を出しました。
・と言っても、九段中は2006年に九段高と統合され、23区初の公立中高一貫校「九段中等教育学校」に。九段中は消滅して、当時の校舎は九段小と九段幼稚園が使っています。
↓校庭と旧九段中のシンボルだった椎の木(右)。左後ろはホテル・グランドパレスです。
・同窓会総会の後は、当時と全く変わらないホテル・グランドパレスで懇親会。私の結婚式の場所です。中学の友人たちと久々にゆっくり話ができました。
・同じクラスだった友人が中学時代のことを聞いてきました。
「3年の時、(学級委員の)お前が作ったクラスの標語、覚えてる?」
「いや。」
「ほかのクラスは『努力』とか『根性』とかだったのに、うちのクラスのは全然違う『LET IT BE』だったよ。お前の好きなビートルズだろ。」
「そんなことあったっけ?」
「先生は、『なるがままに…ねえ。まあいいでしょ』って感じだった。」
「えー、全然覚えてないよ。」
・ひと様に趣味を押しつけるのは感心しませんが、いろいろあっていいのかも。でも先生の寛大さは素敵です。私の混沌とした中学生活は、やっぱりビートルズとともにあったのですね…。
・かつて校舎に高々と掲げられていた九段中の校章は、九段中等教育学校のメモリアルルームにひっそりと…しかし綺麗に飾られていました。ミツバチは勤勉の象徴です。
九段中 & BEATLES FOREVER!














