またまた仕事が忙しくなってしばらくご無沙汰しました。
前回投稿が6月の終わりでしたので、それから約3か月、暑い暑い夏を通り越して、今や季節は秋になりそうです。
今回は、昨年のウィーン・クリスマスマーケット訪問記の『前置き』第3弾。
クリスマス・マーケットとは別に、ハプスブルク家に因んだ訪問先を集めてみました。
なかなか本編が始まらなくてすみません。
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3回目のウィーン旅行は、クリスマス・マーケットとともに、過去2回のウィーン旅行で行けなかった場所を回りました。
その一つが、「フランツ・ヨーゼフ1世像」です。
ホーフブルクの隣、ブルク・ガルテン(王宮庭園)の中に佇んでいます。
ゲーテ像やモーツァルト像のすぐ近くですね。
この、少しうつむいた姿勢が、今のオーストリアとハプスブルク家の間の微妙な距離感を示しているようにも思います。
ホーフブルクを挟んだ向こう側にあるフォルクス・ガルテン(国民庭園)には立派なエリザベート像がありますが、それとの比較等はまた本編で。
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ホーフブルクの中では、これまで王宮礼拝堂に行っていませんでした。
日曜の朝はウィーン少年合唱団とウィーン・フィルが聖歌を歌い演奏するというこの場所。
中は案外質素でした。
フランツ・ヨーゼフ1世も普段の生活は質素だったといいます。
皇帝の権威を示すために必要な『外向け』の部分以外のプライベートな部分では質素に暮らすというのが『帝王学』なのかなと感じました。
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次もこれまで行けなかった、ホーフブルク内の王宮宝物館です。
この有名な王冠は前から各種パンフ等の写真で知っていたのですが、今回初めて実物をガラス越しに見てきました。
やはり王権の象徴たる王冠は、限りなく贅沢に作る必要があるのでしょうね。
宝物館にはこのほか壮麗な皇帝の服装なども飾られていましたが、それは本編で。
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次は、過去2回の旅行時には存在も知らなかった2つの博物館…「馬車博物館」と「王宮家具博物館」です。
この2つは、ミュージカル俳優で「エリザベート」のフランツ・ヨーゼフがはまり役の田代万里生さんが2016年のアメブロ「フランツ・ヨーゼフ紀行」で書かれていたものを妻が見つけて、是非行こうということになりました。
まずは、シェーンブルン宮殿のすぐ前にある馬車博物館。
ハプスブルク家が使った豪華絢爛な馬車もたくさんありましたが、私が一番印象に残ったのは、葬送用の馬車でした。
すごいですね、この荘厳さ。
ミュージカル「エリザベート」のトート閣下が黒い馬に乗って得意げに随走しそうです。
実際、1898年のエリザベートの葬儀、1916年の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の葬儀ではこの馬車が使われたそうです。
馬車博物館には、こんな展示物もありました。
后妃エリザベートの喪服です。
エリザベートは、息子の皇太子ルドルフを亡くした後、普段からずっと喪服を着ていたそうです。
崩壊に向かうハプスブルク帝国、その経営を担う保守的な父・皇帝と自由主義的な母・后妃の間で行き場を失った息子・皇太子の突然の死。
ここもトート閣下の出番ですね。
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もう一つの博物館は、王宮からウィーン西駅に至る少し手前あたりにある王宮家具博物館です。
ここで目を引いたのは、早世した皇太子ルドルフにまつわる品の数々。
これは、ルドルフのベビーベッドです。
そしてこれは、ルドルフが亡くなったマイヤーリンクの狩りの館に置かれていたベッド。
彼がここでマリー・ベッツェラと心中したのかどうかは未だに謎とされています。
これら二つの博物館では、シシィ博物館やシェーンブルン宮殿といった「光」の部分ではあまり味わえない落日のハプスブルク帝国の「影」の部分を結構味わうことができたなあという印象です。
このほかにも、大西洋の離島に流された最後の皇帝カール1世や、処刑されたメキシコ皇帝マキシミリアン1世(フランツ・ヨーゼフの弟)など、「影」の部分に思いを馳せましたが、それはまた本編で。
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最後は、オーストリア国立図書館。
元帝国図書館ですからハプスブルクの遺産ですね。
有名な美しい図書館ですが、今回初めて行きました。
思い出すのは、2019年にANAのウィーン直行便ができた時のTVコマーシャルの舞台がこの国立図書館でした。
そのコマーシャルを見ながら、その直行便で初めてウィーンに行くのを楽しみにしていた記憶があります。
2020年の2回目では帰りの直行便が突然欠航になってミュンヘン経由に。
2023年の3回目の時にはANAの直行便はコロナで運休中。
往復ともフランクフルト経由で、帰りのフランクフルトでは乗り継ぎ時間が殆どなく全力疾走しました。
飛行機での往復にもいろいろな思い出があります。
運休していたANAウィーン直行便も今年8月に再開。
それに乗る日は来るのでしょうか???
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以上、今回初めて訪ねたハプスブルク帝国の遺産についてまとめてみました。
「ハプスブルク帝国の崩壊」に思いを馳せながらふと思ったのですが、オーストリアにおける「ハプスブルク帝国の崩壊」というのは、日本で言うと「江戸幕府の崩壊=明治維新」なのか、それとも「大日本帝国の崩壊=終戦・戦後」なのか、どちらにあたるんでしょうね?
歴史が違うのだから単純な比較はできないと思いますが、本編の中であれこれと考えを巡らせていきたいと思います。
次からはいよいよ本編。
まずは羽田を出て北極回りの飛行機の旅です!
【今日のBGM】
ブルックナー 交響曲全集
バロー指揮 ザンクト・フローリアン・アルトモンテ管弦楽団、オーバーエスターライヒ・ユース交響楽団(第6・8番)
・今年のブルックナー生誕200年に向けて様々なCD等が出されており、ブルックナー・ファンとしては心躍っていますが、この全集もその一つです。
・ブルックナーが眠るリンツ郊外の聖フローリアン修道院では、1970年代の朝比奈/大阪フィルを含め様々なブルックナーの演奏がされてきましたが、ブルックナー没後100年の1996年には聖フローリアンの名を冠したオーケストラができたそうです。常設ではなく音楽祭の時などの臨時編成のようですが、そのオーケストラが演奏した全集ですからブルックナー・ファンとしては聴かないわけにはいきません。
・リンツ・ブルックナー管弦楽団というのもありますが、それと被っている団員もいるのかもしれませんね。
・演奏は、聖フローリアンのたっぷりした残響を考慮に入れた極めてゆっくりのテンポで、旋律の流れよりは一瞬一瞬の響きとその変化を味わうものになっているように思います(指揮者のバローはチェリビダッケの弟子だそうです)。
・このため一部(第9番スケルツォ等)にはやや違和感を感じる部分もありますが、瞬間瞬間の響きにははっとさせられるような部分が多々あります。
・ブルックナーに奉仕するオケの音が聖フローリアンに響き渡るのをここ日本で楽しめるのですから、願ってもないことですね。
・地元のユース交響楽団の第8番も、「ユース」と侮るなかれ、ゆっくりしたテンポで一つ一つの響きを大切にするこの全集のコンセプトを体現した名演です。
・ブルックナーについては今後もとりあげていきます!