ナインティナインはこれからも「孤独な闘い」を勝ち続ける
先日、FNS27時間テレビ「めちゃ2デジッてるッ!笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ~ん!!」が放映された。この番組は、アナログからデジタルに完全以降する瞬間を放映する記念すべき番組であり、また7年ぶりにナインティナインとSMAPの中居正広が総合司会を務めるという事で放送前からかなりの話題を集めた番組である。この番組の一番の目玉企画と言えば、やはり矢部浩之の100キロマラソンだろう。実際に最高瞬間視聴率を記録したのも矢部が100キロマラソンを完走した瞬間(29.8%)だったのだから、多くの人がマラソンに注目していたということだ。私自身は今回の矢部のマラソンで「ナインティナインのコンビ愛」に思わず涙を流してしまった人のうちの一人である。なぜ、涙を流してしまったのか。それは、ナインティナインが常に孤独な闘いをし続けて来たコンビであり、それを二人が支え合う事で勝ち続けて来たコンビだと思うからだ。そのため、普段テレビやラジオでは見せない「コンビ愛」を明確に映し出されたため、思わず感動してしまったのである。では、ナインティナインがしてきた「孤独な闘い」とは一体どういうことであろうか。
1990年にデビューしたナインティナインは、翌年から吉本印天然素材のメンバーに抜擢され人気を獲得し、93年には現在のめちゃイケの前身番組である「とぶくすり」でメインをはり、翌年から「ぐるぐるナインティナイン」など全国ネットの番組のレギュラーを次々と増やしていくなど、デビュー直後から常に第一線で活躍してきた。いわゆる“下積み”が皆無の珍しい芸人なのである。一見華やかな芸能生活かと思われるが、下積みがないということはそれだけ周りからのやっかみが強くなるという事である。特に当時の吉本興業というのは、大阪を拠点にしており、東京にあまり芸人がいない時代である。デビュー間もなくしてすぐに東京進出したナインティナインには、仲間と呼べる芸人がほとんどいなかった。当初メンバーとして加入していた天然素材も、全国ネットでのレギュラーが増えるうちに脱退する。それにより元メンバーだった雨上がり決死隊やFUJIWARAからの嫉妬の想いも余程強かったことだろう。周りに頼れる人がいない状況なのにも関わらず、同士だと思って一緒に活動して来たメンバーから見放されるというのはものすごくツラいことだ。それにも関わらず、仕事量や周りからの期待度はどんどん上がっていく。誰にも頼れないのに不安感ばかり募る状況というのは、とても孤独である。それにも関わらず、ナインティナインは戦い続け、そして勝ち続けて来た。このときナインティナインは、コンビ同士お互いを頼っていたのだろう。周りは頼れないのだから自分たちを頼るしかない。このときに他のコンビよりも相当固い絆が出来上がったのだろう。その固い絆によって、その後に繋がる太い芸能活動のレールが出来上がった。このレールが完成してからも、ナインティナインはレールに甘んじる事なく、特にめちゃイケで見せるような勝ち続ける姿勢をとり続けた。
しかし、勝ち続けるのにも限界が来てしまった。それが、昨年の岡村隆史の体調不良による芸能活動の一時休止である。岡村隆史は周りに頼らずに戦い続けたため、あまりにも負荷がかかってしまい、その反動が昨年きてしまった。(岡村自身が公言しているが、)心の病を煩ってしまったということは、余程根詰めて戦っていたのだろう。その負荷の原因を当時の岡村の活動を振り返りながら推測すると、その前年からレギュラーの番組以外の日も主演を務めた映画「てぃだかんかん」の撮影を行っていたり、まさに芸能活動を休止する直前には「一人芝居」の舞台をやろうとしていた。ここから推測するに、岡村自身は今後の芸能活動を相方の矢部に頼るのではなく、自分自身で独立しようと考えたのだろう。しかしながら、それができるだけの(心の)体力がなかったため、休止する羽目になってしまったのである。
岡村隆史復帰後のナインティナインは非常に仲がいい。10年以上ナインティナインのオールナイトニッポンのリスナーである私だが、岡村復帰以降はお互いがお互いを楽しんでいるように思えるのだ。おそらくこの番組のリスナーの方であれば多くの方がそう感じていると思う。それだけ、わかりやすくナインティナインは仲がいいのである。先ほど、ナインティナインは東京進出の際に誰にも頼れなかったためにコンビ間で固い絆が生まれたと書いたが、現在のコンビ愛はそういった類いのものではないと私は思う。現在のナインティナインは、お互いがお互いの事を積極的に信じているのである。積極的に信じるとはどういうことか。元々、岡村と矢部は同じ高校のサッカー部の先輩と後輩という関係性である。そのため、芸人の道に誘ったのも矢部からだというのだから、矢部は岡村のことを多いに信頼していた。岡村側からしたら、自らの責任感から自分がひっぱっていかないといけないという使命感も当然あっただろう。そのため、コンビのパワーバランスとしては、岡村の方が上であり矢部はそれを支えるという関係性であった。岡村は非常に真面目な性格であったため、そのパワーバランスを崩さずに、「ナインティナインであり続けるための関係性」をその形であり続けようとした。真面目な人ほど、自分が決めたことに関しては、その形で居続けようとする。しかしながら岡村自身がその負荷に耐えられず、自らが設定したその関係性が崩れてしまった。だが、かつての関係性が崩れた事で、考え方や立場・状況など様々なことが一旦リセットされ、岡村は矢部を頼ることができるようになったのである。現在のナインティナインのパワーバランスは実に平等である。当然、矢部は今まで通り岡村の事を信頼しているし、岡村も矢部の事を信頼している。ここで重要なのは、矢部自身が“岡村さんが自分の事を信頼してくれている”という自覚を持ったという事である。一方的に信頼していたとしても、それは本当の意味での信頼し合える関係とは言えない。「お互いがお互いを信じ合い、またお互いに信じられていることを共有すること」で、本当の意味での信頼性というのは生まれるのである。
今回のFNS27時間テレビでは、矢部がマラソンを走ることでスタジオでの進行は岡村がしていた。そのことについて走る前の矢部は非常に不安がっていたが、岡村はスタジオでの大役をこなしてみせた。お互いがお互いで孤独な闘いをしていたのだが、それぞれがきちんと結果を残した。100キロを完走した矢部を讃えるように抱きしめた岡村だが、矢部も27時間テレビという大舞台の進行を勤め上げた岡村を讃えているに違いない。人間には長所と短所というのがあるが、それを双方がきちんとわかり合える事でもっと大きな力が生まれるのだろう。
いま現在ナインティナインがコンビで持っているレギュラーというのが、テレビで2本・ラジオで1本であるが全部の番組が15年近く続いている。15年も続く番組を3本も持っている芸能人は、ナインティナインぐらいしかいない。病気からの復帰など唯一無二の存在となったナインティナイン。最近はそれぞれピンでの活動も目立つが、やはり二人でしか見せられない活躍があるのだと再確認した27時間テレビであった。と、同時に今後の“ナインティナインのコンビでの活動”に非常に注目したい。
1990年にデビューしたナインティナインは、翌年から吉本印天然素材のメンバーに抜擢され人気を獲得し、93年には現在のめちゃイケの前身番組である「とぶくすり」でメインをはり、翌年から「ぐるぐるナインティナイン」など全国ネットの番組のレギュラーを次々と増やしていくなど、デビュー直後から常に第一線で活躍してきた。いわゆる“下積み”が皆無の珍しい芸人なのである。一見華やかな芸能生活かと思われるが、下積みがないということはそれだけ周りからのやっかみが強くなるという事である。特に当時の吉本興業というのは、大阪を拠点にしており、東京にあまり芸人がいない時代である。デビュー間もなくしてすぐに東京進出したナインティナインには、仲間と呼べる芸人がほとんどいなかった。当初メンバーとして加入していた天然素材も、全国ネットでのレギュラーが増えるうちに脱退する。それにより元メンバーだった雨上がり決死隊やFUJIWARAからの嫉妬の想いも余程強かったことだろう。周りに頼れる人がいない状況なのにも関わらず、同士だと思って一緒に活動して来たメンバーから見放されるというのはものすごくツラいことだ。それにも関わらず、仕事量や周りからの期待度はどんどん上がっていく。誰にも頼れないのに不安感ばかり募る状況というのは、とても孤独である。それにも関わらず、ナインティナインは戦い続け、そして勝ち続けて来た。このときナインティナインは、コンビ同士お互いを頼っていたのだろう。周りは頼れないのだから自分たちを頼るしかない。このときに他のコンビよりも相当固い絆が出来上がったのだろう。その固い絆によって、その後に繋がる太い芸能活動のレールが出来上がった。このレールが完成してからも、ナインティナインはレールに甘んじる事なく、特にめちゃイケで見せるような勝ち続ける姿勢をとり続けた。
しかし、勝ち続けるのにも限界が来てしまった。それが、昨年の岡村隆史の体調不良による芸能活動の一時休止である。岡村隆史は周りに頼らずに戦い続けたため、あまりにも負荷がかかってしまい、その反動が昨年きてしまった。(岡村自身が公言しているが、)心の病を煩ってしまったということは、余程根詰めて戦っていたのだろう。その負荷の原因を当時の岡村の活動を振り返りながら推測すると、その前年からレギュラーの番組以外の日も主演を務めた映画「てぃだかんかん」の撮影を行っていたり、まさに芸能活動を休止する直前には「一人芝居」の舞台をやろうとしていた。ここから推測するに、岡村自身は今後の芸能活動を相方の矢部に頼るのではなく、自分自身で独立しようと考えたのだろう。しかしながら、それができるだけの(心の)体力がなかったため、休止する羽目になってしまったのである。
岡村隆史復帰後のナインティナインは非常に仲がいい。10年以上ナインティナインのオールナイトニッポンのリスナーである私だが、岡村復帰以降はお互いがお互いを楽しんでいるように思えるのだ。おそらくこの番組のリスナーの方であれば多くの方がそう感じていると思う。それだけ、わかりやすくナインティナインは仲がいいのである。先ほど、ナインティナインは東京進出の際に誰にも頼れなかったためにコンビ間で固い絆が生まれたと書いたが、現在のコンビ愛はそういった類いのものではないと私は思う。現在のナインティナインは、お互いがお互いの事を積極的に信じているのである。積極的に信じるとはどういうことか。元々、岡村と矢部は同じ高校のサッカー部の先輩と後輩という関係性である。そのため、芸人の道に誘ったのも矢部からだというのだから、矢部は岡村のことを多いに信頼していた。岡村側からしたら、自らの責任感から自分がひっぱっていかないといけないという使命感も当然あっただろう。そのため、コンビのパワーバランスとしては、岡村の方が上であり矢部はそれを支えるという関係性であった。岡村は非常に真面目な性格であったため、そのパワーバランスを崩さずに、「ナインティナインであり続けるための関係性」をその形であり続けようとした。真面目な人ほど、自分が決めたことに関しては、その形で居続けようとする。しかしながら岡村自身がその負荷に耐えられず、自らが設定したその関係性が崩れてしまった。だが、かつての関係性が崩れた事で、考え方や立場・状況など様々なことが一旦リセットされ、岡村は矢部を頼ることができるようになったのである。現在のナインティナインのパワーバランスは実に平等である。当然、矢部は今まで通り岡村の事を信頼しているし、岡村も矢部の事を信頼している。ここで重要なのは、矢部自身が“岡村さんが自分の事を信頼してくれている”という自覚を持ったという事である。一方的に信頼していたとしても、それは本当の意味での信頼し合える関係とは言えない。「お互いがお互いを信じ合い、またお互いに信じられていることを共有すること」で、本当の意味での信頼性というのは生まれるのである。
今回のFNS27時間テレビでは、矢部がマラソンを走ることでスタジオでの進行は岡村がしていた。そのことについて走る前の矢部は非常に不安がっていたが、岡村はスタジオでの大役をこなしてみせた。お互いがお互いで孤独な闘いをしていたのだが、それぞれがきちんと結果を残した。100キロを完走した矢部を讃えるように抱きしめた岡村だが、矢部も27時間テレビという大舞台の進行を勤め上げた岡村を讃えているに違いない。人間には長所と短所というのがあるが、それを双方がきちんとわかり合える事でもっと大きな力が生まれるのだろう。
いま現在ナインティナインがコンビで持っているレギュラーというのが、テレビで2本・ラジオで1本であるが全部の番組が15年近く続いている。15年も続く番組を3本も持っている芸能人は、ナインティナインぐらいしかいない。病気からの復帰など唯一無二の存在となったナインティナイン。最近はそれぞれピンでの活動も目立つが、やはり二人でしか見せられない活躍があるのだと再確認した27時間テレビであった。と、同時に今後の“ナインティナインのコンビでの活動”に非常に注目したい。