ニーチェを加藤浩次が訳す「人間変化」論 | コントリーの反省ブログ

ニーチェを加藤浩次が訳す「人間変化」論

 今日時間があったため、過去録音していたTBSラジオ『極楽とんぼ 加藤浩次の吠え魂』を聴いていた。聴いたのは2010年3月12日の放送回で、その回の開始33分ごろから加藤浩次が「人間は変わるものだ」という話をしていたので、今回はそれをまとめようと思う。
 まずは、「人間は変わるものだ」という話になる前段階の話を振り返ろう。この回のオープニングで『加藤浩次の吠え魂』があと3回で終わるということが発表された。番組当初は、極楽とんぼのコンビとして放送されていたが、途中相方の山本圭一の不祥事により一旦終了。その後、加藤浩次ピンでの放送開始となった。そんな吠え魂も合計で約10年続いたという話になり、10年前と今ではなにが変わったのかという話題に。「昔は男のシャンパン現象なんて信じてなかったもんね。」(*「シャンパン現象」が何なのかについては各自で調べてください)「それがいまでは、ビデオも出てるくらいだからね。」と言う加藤。続けて、「いまああだこうだ言ってることでも、何年も経ったら全然違うってことってあるからね。」そして、加藤浩次は過去の自分を思い出しながら、「昔はさぁ『絶対こうだよ!』とかよく言ってたんだけど、どんどん変わってくるもん。」と語る。
 加藤浩次はデビューしてから今もなお順調な芸能活動を続けており、その地位は堅実なものへと確立しつつある。極楽とんぼとしてデビューしてから二年目に『とぶくすり』のレギュラーを掴み、以降20年近くレギュラー番組が途切れる事なく続いている。また、2001年10月にはピンでMCを務める『スーパーサッカー』が放送開始、2006年4月には朝の番組『スッキリ』のメインキャスターも務めている。しかしながら、相方の山本圭一の不祥事によるコンビ解散という大きな変化もあり芸能活動の危機も迎えたこともあった。また、キャラクター面で言っても、かつてはケンカのイメージでニックネームが「狂犬」と言われていたが、結婚して子供が生まれ、さらに朝の番組を始めたことでいまではその影を潜めている。これだけ、自身のキャラクターや状況が変化しているのにも関わらず、順調な活動をしている芸人も珍しいのではないか。芸能界に広げて考えてみても、プライベート面・芸能活動面でもこれだけの変化を経ていても20年以上テレビに出続けるタレントというのは稀である。これは、加藤浩次が「変化に対応できるだけのバランス感覚」の才能が抜群にあるからに違いない。
 ラジオの話題に話は戻す。自身の体験を振り返りながら言った後、加藤浩次は「人間というのは、変わっていいんだって。変わって当たり前なんだって。言ってた。」と続ける。おそらく何かの本を読んだのだろう。それを受けて、構成作家の鈴木工務店が「誰が言ってたの?」と尋ねると、「ニーチェが。」と加藤。加藤がニーチェの哲学書を読んでいる事にも驚くが、また加藤のニーチェの実存主義の解読にも驚く。「変わらない人はダメなんだって。」と続ける加藤、それに対し、鈴木工務店は「えー、でも変わらないで大事なものを守り続けるっていいじゃないですか。」と返すが、それに対して加藤は「変わりながら大切なものを守り続けれるでしょ?」そして、「大事なところだけ変わらなきゃいいでしょ。」と語る。私が加藤浩次の“大事なもの”というのが何を指すのかはわからない。しかしながら、“大事なものを守り続ける方法”というのを加藤浩次のこの話と生き方から学んだ気がする。人それぞれ、“大事なもの”の中身は異なる。だが、それを守り続ける方法の一つとして、加藤浩次が語った「大事なところだけ変わらずに、他は変えていく」というのはあると思う。しかしながら重要なのは、それはあくまで方法の一つでしかないという事だ。大事なところを変えずに、他を変えてみたところで必ず上手くいくというわけではない。何を変えるかという問題も、どう変えるかという問題も、そしてどうして変えたいのかという問題もある。そしたまた、変えれば良いという問題でもない。
 加藤浩次における人生のターニングポイントは、やはり相方の山本圭一の芸能活動休止だろう。自分が変わろうとしなくても、変わらざるを得なくなった状況になってしまったにも関わらず、加藤浩次はそれから一層芸能界での地位を確かなものとした。もしかしたら、変化しなくてはならない状況になった時こそ、真価が試されるのかもしれない。そしてまた、進化をすることができるきっかけなのかもしれない。『「変化」それは「進化」にも「退化」にもなり得る。』と、名言っぽい言葉を残したところでこのブログをしめようと思う。