《狂気》や《死》をテーマにした作品でもやたら刺激だけが強い作品がある。
舞踊に限らず、歌、絵画から映画に至るまでー。
そしてそれを求める人が沢山いる。
それ自体を否定する気は無い。

但しそれが人間の本質に向かっていて問題提起がされているのであれば、食い入る様に観、そして心を鷲掴みにされる。

ただし、やたら美化したり、興味本位で物見遊山的な作品は吐き気がしてそれを面白がって観ることは私にはどうしても出来ない。

実際に人間の精神が破綻していく様を目の当たりにしたり、狂いたい程に逃れたい渦中にいたり、少しでもそういう経験をしていたら、そういう無責任な作品には触れたくもないものだと思う。全ての人のテーマでありながらとてもデリケートなことだから…。

ただ…
《狂気》と《歓喜》は表裏一体だと時々思うことがある。

私がこの歳になっても踊り続けてるのはただ単に楽しいからと発散出来るからとか其れだけの理由では無いのは自分でも認識している。

泣きたくても泣けない時、苦しくて何かにすがりたいときは、逆に空まで跳びたい位歓喜に酔いしれていたいと思うもの。

表現する世界が自分の日常にあることは、直接何処かへ行かなくても、光と影と共に、創造の世界を旅することが出来る。

美しい花や木々に心地よい風に力強い大地に果てし無く続く空に身を委ねたくなる…。そんな時はそんな作品を大切に温め創り上げる。

《狂気》や《死》の表現は、自分自身の闇をリアルに表現することになりそうで怖かった。

でも、今ならそれに向かっていってもいい気がする。

大切な人の《死》への恐怖とか人間の《狂気》の有り様という自己体験からだけでなく、もう少し普遍的なものとして捉えはじめたから。

そしてそこから新たに、《生命》への愛おしさと美しさの違う風景を表現出来そうなそんな気がしてならない。

今までの感覚と違う自分がいる。

今年の創作活動は私の中ではすでに始まっている。

直接的な刺激の中で見出すのでは無く、落ち着いて丁寧に呼吸しながら表現していこうと思う。

…あ、、でも許されるなら海外の何処かへ旅したいなぁ〜、これは紛れも無い本音だけど…笑