トンペンなら誰でも知っていることではありますが、

再始動後着実に新しいファンを獲得しているわけですから

こういうエピソードも必要かもしれませんね。

勢いがあるし2人が表紙になれば売り上げ倍増です。

いい記事を載せてくださいねー。(嘘はいらないです)

女性週刊誌ほどあてにならないものはありませんから。

 

https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/1124/sgk_171124_1316685636.html

東方神起チャンミン 全教科95点以上の品行方正高校生だった

 海外アーティスト史上初となる、3度目のドームツアーをスタートさせた東方神起。65万人を動員する今回のツアーは、再始動後初の舞台とあって、世界各国からファンが大集結した。

 

 デビュー14年目を迎え、前人未踏の領域に辿り着いたアジア最強のアイドルは、いかにして生まれたのか。ここでは、チャンミン(29才)の生い立ちに迫る。

 

 チャンミンは生まれも育ちもソウル市という都会っ子。実家は高層ビルが建ち並ぶ同市松坡(ソンパ)区にあり、教師の両親の元で育った。

 

「挨拶や言葉遣いがしっかりした育ちのいい男の子で、将来は新聞記者になりたいと言っていた。率先して人前に出ていくタイプではなかったので、アイドルになったと聞いたときは心底驚きました」

 

 幼少期を知る近隣住人がこう語るように、「良家の子息」を地で行く少年だったチャンミン。中学生時代にスカウトされ、現在の事務所に所属した彼は、芸能活動と学業を両立させる優等生だった。

 

 チャンミンの母校は、江南区の中でも屈指の超高級住宅街、開浦洞(ゲポドン)にある開浦高校。

 

「清く賢い開浦人であれ」と書かれた校門をくぐると、周囲の高層マンションが見渡せる広大なグラウンドが広がっている。清潔感のある白亜の校舎が醸し出すのは、洗練された都会のイメージそのもの。当時のチャンミンを知る同校の元教師A氏が語る。

 

「練習生時代から、学校の成績は抜群によかったです。全教科で平均95点以上は取っていました。品行方正な学校生活でした」

 

 校内でもトップクラスの秀才だったチャンミンは、グループの末っ子ということもあり、高校1年生の冬に東方神起としてデビューしている。他のメンバーに比べ、学校生活を満喫する時間は圧倒的に少なかったはずだ。

 

「だからこそ、学校側も少し特別な環境を用意しました。芸能活動を“社会体験学習”として、1つの授業の一環としたのです。日本での活動も、“課外活動”として規定の出席扱いにしました。でも、彼はその環境に甘んじるタイプではなかった。釜山市で公演があっても、夜中に車を走らせてソウルに戻り、翌朝学校に来るんです」(A氏)

 

 

 練習と公演で寝る間もないほど多忙なチャンミンだったが、学業で後れを取ることはなかったというのだから、その努力は並大抵ではない。

 

 在校中に東方神起が大ブレークしたことで、チャンミンのクラスにはファンの生徒が押し寄せるようになった。だが、本人は嫌がるそぶりも見せず、笑顔でサインにも対応していたという。当時を知る同級生が語る。

 

「教師の中にも、チャンミンにサインをねだる者がいましたから。でも彼は人と人の絆を大切にする男だったので、誰に対しても決して上から目線で接することはなかった。あまりにも普通の生徒なので、芸能人であることを忘れてしまう瞬間もあったほどです。卒業式には国内外のファンが学校に集まり、やむなく卒業証書の授与を別の教室で行ったほどで、そういう時は“やはり彼はスターなんだ”と実感するのですが(笑い)」

 

 過去、東方神起が分裂騒動で揺れていた時、最も傷ついたのは、心優しいチャンミンだったといわれている。

 

「末っ子として、メンバーみんなからかわいがられていただけに、真っ二つに分かれた兄さんたちを見ていられなかったのでしょう。笑顔がなくなり、どんどんやせていった。そんなつらい経験を経たからこそ、ユンホ(31才)と2人で東方神起を再始動した後は、一層コンビやファンとの絆を大切にするようになった」(芸能関係者)

 

 日本で東方神起だけが特別な人気を勝ち得ていることを伝えると、A氏はこう答えた。

 

「正直、チャンミン1人だったらここまでブレークしていたかどうか…。彼は相手の長所を何倍も引き出し、同時に、相手によって自分の長所が引き出されていくタイプ。超努力家のユンホが隣にいるからこそ、チャンミンの育ちのよさや飾らない素朴さが一層際立ち、ひいてはユンホのストイックな魅力が引き出されていく。相性抜群の2人だったからこそ、ここまでの人気を獲得することができたのだと思います」

 

※女性セブン2017年11月30日・12月7日号