ヒョンと出会って数カ月、僕は満たされていた。

誰かとこんなに近い距離でつきあったことはない。

僕は自分を出すのが苦手で、誰とでも気安くはつきあえない。

大学生になって音楽を通してやっとまともに他人と向き合うことができたばかりだけど

ヒョンはそんな僕の殻を簡単に破って僕の中に入ってきて、唯一甘えられる人になった。


ヒョンという人知ってみると、すごく人懐こくて誰にも好かれるタイプで、

いつも彼のまわりは楽しい空気に満ちている。

いつも人の輪の中心にいる人が僕を見つけると満面の笑顔で僕を呼ぶ。


「チャンミナ、おいで」


僕はヒョンの目に弱い。

そんなに優しい顔で見つめられたら溶けちゃいそうだ。

まわりもすっかり僕をヒョンの弟扱いをするようになり、

コンサートの練習以外でも僕はヒョンの大学によく呼ばれていくようになっていた。


ある日、いつものように集まれる仲間で練習をしていると、OBという人がやってきた。

ヒョンの仲間はみんなうれしそうに集まってきて、なんとなくみんなで輪になって

合奏をしながら一人ずつソロフレーズをリレーのように吹いていく。

なんだかゲームでもして遊んでいるようで楽しくて、僕はソロなんて恥ずかしかったけど、

その楽しい雰囲気のおかげで、だんだん平気になってきた。

ときどきヒョンのことをちらっと見ると、ヒョンがすぐに気づいて微笑んでくれる。

僕が目配せをすると、ヒョンが僕のソロのときに音を重ねてくれる。


ヒョンの音と僕の音が奏でるハーモニーに突然エッジの効いた音が割り込んでくる。

びっくりして自分の音を引っ込めると、その音がヒョンの音と重なって、

僕のときとは全然違う響きになり、まわりが拍手で囃し立てる。


この音、あの先輩のだ。

僕の知らないヒョンとの時間を持った人、そして絡みつくような艶っぽい音を出す人。


なんだかヒョンを取られたみたいでちょっと気分が沈みそうになる。

こんなこと思うなんて…。


合奏が終わるとその人がまっすぐ僕のところにやってきた。


「君、ユノの弟分なんだって?可愛いな」


「初めまして。シム・チャンミンです。今度のジョイントでお世話になります」


「あー、うちの学生じゃないのね。どうりで見かけない顔だと思ったよ」


「はい。お邪魔しています」


「君さ、音が素直すぎて色気が足りないんだよね。彼女とかいないの?」


「え?あの…」


「下手なんじゃなくてさ、音に色気がないの。女知らないだろ」


「え…」


「ちょーっと、先輩、俺のチャンミンいじめないでくださいよ」


ヒョンが後ろから僕を引き寄せる。

心臓が飛び出しそうだ。


「何、お前らそういう関係なわけ?」


「そうじゃなくて、俺らじいさんの代からのダチなの」


「ふうん、じゃあ、お前そのこにいろいろ教えてやんな。もったいないよ」


「えー、悪いこと教えたらじいさんに怒られるよ」


「今の音じゃジャズになんねーよ。チェリー丸出しじゃん」


「ちょっと、この年になってそんなわけねーじゃん。な?チャンミナ?」


僕は真っ赤になってうつむいてしまった。

なんか自分が恥ずかしくてみじめで、涙が出そうだ。


「え?ちょっとそんな顔すんなよ。俺がいじめたみたいじゃん」


「今のはお前が悪い。ユノ、早く連れて帰んな。可哀想だろ」


「先輩が言いだしたのに俺のせいにしないでよ」


「チャンミンくん、からかうつもりじゃなかったんだよ。悪かったね。

 ユノもちょっと無神経なとこあるから、こいつの先輩として謝っておくよ」


「いえ…そんなことありません。でもお先に失礼します」


僕はそう言って頭を下げると楽器を片付けて帰ることにした。

今は誰とも話したくないし、ヒョンとも話したくない。

なんで先輩がヒョンのことで謝るんだろう。

僕はそのことの方が気に障っていた。

さっきだって、僕とヒョンの音に割って入ってきたし…もしかしてあの人、ヒョンのこと…。


「こら、チャンミナ、待てよ。一緒に帰ろう」


「いい。僕一人で帰れるから、ヒョンはみなさんのところに戻って」


ヒョンを振りきって帰ろうとしたら強く腕を掴まれる。


「こら。お前をそんな顔のまま一人で帰せるわけないだろ?」


「なんで?もともとこんな顔だよ。子ども扱いしないでよ」


「いいから。家で話そう?いいだろ?」


ヒョンが僕の手を離さないから、しかたなく一緒にヒョンの家に行く。

部屋に入るまで一言も口をきかない僕を、ヒョンは何も言わずにソファに座らせる。

楽器を置くと、コーヒーを淹れるつもりなのか、キッチンから大きな物音聞こえてくる。

ヒョンは大雑把だからちょっと心配だけど、今日は僕は手伝わない。

かすかに漂うコーヒーのいい香りとヒョンがたてる音で、やっと僕は体の力をぬいた。

自分でも気づかないうちに力が入っていたのかもしれない。

そうして僕はヒョンが戻るのを待てずにソファで眠ってしまって、

なんだか幸せな夢を見たような気がした。



目覚めると、もう夜になってしまっていた。

僕はソファでヒョンの肩にもたれていた。

ヒョンは、電気もつけず、月明かりの中で静かに音楽を聞いていた。


「ごめんなさい。僕寝ちゃったの?」


「疲れたのか?」


「よくわかんないけど、なんか寝ちゃったね」


「一応起こしたんだけどな。お前おぼえてないの?」


「え?僕何かした?」


「残念。あれ、寝ぼけてたのか…」


「僕ヒョンに何をしたの?」


「可愛かったのになぁ。ホントに覚えてない?」


僕がうなずくと、ヒョンはふっと微笑んで僕の頬を両手で包み、僕の瞳を覗き込む。


「俺が起こしたらお前俺に抱きついてあの人と仲良くしないでって言ったんだよ」


「え?」


「あの人って、もしかして先輩のことか?お前ヤキモチ妬いたの?」


「僕そんなこと言ってない」


「言ったよ。ヒョンは色気がない僕はイヤ?って」


「嘘、そんなこと言うはずないよ」


「言ったの。潤んだ目でそんな可愛いこと言われたらたまんないだろ?

 ヒョンが教えてって言うから思わず」


「思わず?」


ヒョンは素早く僕の唇にちゅっとキスをした。


「覚えてないの?」


「覚えて…え?僕そんなこと…」


「覚えてないならもう一度同じことしようか」


「同じことって?」


「お前が途中で寝ちゃうから、やめちゃったこと」


そう言うと、ヒョンは僕を抱きよせ綺麗な長い指で僕の頬をなぞる。

その指のそそのかされるようにヒョンを見上げて目を閉じると、ヒョンの唇がおりてくる。

どうして?とか

ヒョンも僕も男なのに、とか、

好きとかそう言う告白もしていないのに、とか

もう考えることはやめた。

さっきの一瞬のキスでもう僕はつかまってしまったから。


何度も優しく僕の唇をついばみ、その腕は僕を強くだきしめる。

僕も戸惑いながらヒョンの背中を抱きしめると、突然くちづけが深くなり、

ヒョンの舌が僕の口の中に忍び込んでくる。

びっくりして舌を引っ込めてもヒョンの舌が僕の舌を追いかけてきて絡めながら吸いつく。

それだけで体に力が入らなくなってヒョンに体を預けるようにもたれかかると

ヒョンはふっと優しく微笑んで僕の体を離す。

急になくなった体温が寂しくてヒョンに手を伸ばすと、

ヒョンは僕に手を伸ばして僕を呼ぶ。


「チャンミナ、おいで」


いつもと同じように呼ばれているのに、ヒョンは違う人みたい。

こんなに綺麗で妖しくて大人っぽいヒョンは初めてだ。


その手を取ろうと手を伸ばすけれど、ちょっと迷ってしまう。

だってその手を取ったら僕たちどうなるの?


途中で止まった手をヒョンの手がつかまえにくる。

そのまま暗い部屋の中、手を引かれていくとその先にヒョンのベッドが目に入る。


いつのまにか音楽は止まっていたけれど、

僕の体の中にはあの日、初めて会った時のあなたの音が響いていた。


ヒョン、僕たちこれからどうなるの?




to be continued ...



(画像はお借りしています)