お前を守ると決めてから、俺はもうあの場所には行かなかった。
もしもう一度あの無垢な瞳で見つめられたら、俺はもうお前を離すことができなくなる。
そばにいたらきっといつかすべてが露見してしまう。
お前と初めて出会った秘密の場所、
たった一度抱きしめて唇に触れたあの一瞬が永遠になればいいのに。
あれから何度かお前が来ていないか、見に行ったけれど逢うことはできなかった。
それでも、いつでもそこにはお前の気配があったから何も不安はなかった。
同じ思いなら、俺たちはきっとすぐにまた逢える、どうしてそんなことを信じていられたんだろう。
俺の運命はここまで呪われたものなのか。
張りつめた毎日で唯一安らげる場所に迷い込んできた小さなぬくもり、
初めて見つけたこのささやかな幸せすら俺には贅沢な望みだというのか。
お前が守れるなら、それだけを支えに心に蓋をした。
お前には害が及ばないようにしながら研究所を窮地に追い込むのは容易なことではない。
秘書の機嫌を取りながら他の道を探す。
心はお前を求めながらこの腕に抱くのは愛してもいない女だ。
「最近は嫌がらずに帰ってくるのね」
「嫌がってたわけじゃなくてあともう少し自由でいたいだけだ」
「自由?そんなもの、始めからあなたにはないでしょうに」
「それでも、家から離れていられるだけで気が楽だ。今回の件だって失敗すれば俺がバカを見る」
「そうね。排除する理由にはなるかしら」
「そんな役回りはゴメンだな。俺の手を汚さずにやらないと意味がないだろ」
「手を出して失敗するのが怖くなった?」
「男の相手をするのも捨てゴマされんのも嫌なんだよ」
「他の方法がないわけでもないけれど…条件次第ね」
「条件?」
「わかるでしょ?」
「ああ、あんたを楽しませればいいんだろ?」
俺は女に自分の体を差し出すかわりに無事に父の命令を遂行した。
A社の研究部門が撤退を余儀なくされ、チャンミンの父親はソウルに呼び戻されるらしい。
当然、チャンミンも両親に従って遅くても今学期でこの学校を去ることになるだろう。
お前に2度と会えないかもしれないが、お前を傷つけないうちにここから遠ざけられる。
せめてもう一度逢いたい。
そう思っても、もしお前にすべて知られたらもう俺には笑いかけてくれないだろう。
父親のライバル会社の後継者候補だ。
しかも、お前の父親の仕事の邪魔をした張本人でもある。
俺のことはお前にとって、すぐ忘れてしまえる出来事でいいんだ。
あの温室に行けないけれど、何度か遠目にお前を見かけたことがあった。
普段の俺は優等生の生徒会長を演じているのできっとお前は気づかない。
少しだけお前を見つめ、元気そうな姿に安心する。
友達もちゃんとできたんだな。
いつもお前の横にいるそいつがうらやましい。
俺は2度とお前の横に立つことはないだろうから。
10月の終わりのある日、いつものように生徒会の仕事を終え、職員室に向かった。
俺は寮生なので急ぐ必要はないが、一緒に残っている役員には通学生もいるからだ。
ノックをして入室しようとすると、突然扉が開き誰かが飛びだしてきた。
「うわっ」
その生徒をとりあえず受け止めたものの、ふわりと鼻孔をくすぐる香り、これは…。
一瞬の思考停止の後、慌てて冷静な仮面をつけ直す。
「君、危ないだろう。何をやっているんだ」
後ろからついてきていた役員が声を尖らせる。
「ごめんなさい。急いで行かなくてはいけなくて…」
懐かしいお前の匂い、そしてお前の声。
チャンミン…やっぱりお前だった。
お前に気づかれてはいけないけれど、これ以上責められては可哀想なので声をかける。
「君、急いでいても職員室を出る時はきちんと挨拶を忘れてはいけないよ」
「はい。すみませんでした。今後気をつけます」
本当に急いでいるようなのでそのまま行かせようとすると、
お前は何かにつまづいて転びそうになったからつい抱きとめてしまった。
一瞬、身体を硬くしたお前がそっと見上げてくる。
「ヒョン?」
なぜ、この一瞬でお前は気づいてしまうのか。
お前もあの時を忘れずにいてくれたのか。
それでも俺は知らないふりをするしかない。
そっと体を離すとお前は驚いた表情を隠そうともせずに俺をずっと見つめ続けている。
俺はできるだけお前を見ないように、表情に出さないようにする。
「チョン・ユンホ先輩…?」
「君は転校生?ということはシム・チャンミンくんかな?はじめまして」
「はい。初めまして…。あの、先輩、僕…」
「どうしたのかな?生徒会長はそんなに怖い?」
「いいえ。わからなくてごめんなさい」
「別に気にすることはないよ。今は特に行事があるわけでもないからね」
「あの、僕、今生徒会室に行かなくてはいけなくて、それで…」
「何の用事かな?もう閉めてしまったからここで聞こうか」
「会長、僕がします」
「いや、君はもういいから帰っていいよ。バスの時間があるだろ」
「でも、会長」
「書類を受け取るだけだからいいよ。シムくんも早く帰ったほうがいい」
これ以上一緒にいると気づかれてしまいそうで、俺は無理に話を切り上げ、2人を帰した。
チャンミンから受け取った書類をしまうために生徒会室に戻り、
一人になるとやっとまともに息をつくことができた。
心臓が止まるかと思った。
まさか、こんな形でお前を間近で見ることになるとは思わなかった。
お前はあのときと同じ無垢な瞳で不思議そうに俺を見上げてきた。
お前を抱きしめないように必死で息を止めて体中に力を入れていた。
お前に気づかれないように知らないふりをした。
誰もいない生徒会室、メガネをはずし無造作に髪をかきあげ、ソファに沈む。
目を閉じると、あの時抱き寄せた細い腰の感触が蘇る。
「チャンミナ…」
思わずつぶやく。
するといきなりガラリと扉が開き、お前が飛びこんできた。
「ヒョン、やっぱりヒョンだった。僕が間違えるわけない。なんで知らないふりをするの?」
「お前、帰ったんじゃ…」
「絶対ヒョンだって確かめないといけないと思ったからこっそりついてきたんだ」
「どうしてそんなこと」
「ヒョンに逢いたかったからだろ?あれから毎日ずっとヒョンに逢いたかった」
「チャンミナ…」
「どうしてそんな顔してるんだよ。ヒョンは僕に逢いたくなかったの?あの時あんなキス…」
俺はもう耐えられず、チャンミンを抱き寄せて唇を奪っていた。
チャンミンはおとなしく俺に体を預けてきた。
ずっとほしかったお前の唇、お前の体温、お前の匂い、
お前のすべてが俺の強張った体を癒してくれる。
「ヒョンだよね。僕のヒョンだよね」
もう俺は観念するしかなかった。
お前を騙すことなんて俺には最初から不可能だったのかもしれない。
「嘘つき」
「チャンミナ…」
「ヒョンの嘘つき。また逢えるって言ったじゃないか。なんであんな…」
俺の胸を叩きながら文句を言うお前が可愛くて、その不平を洩らす唇をまたふさぐ。
「ごめん、でもこれには事情があって…」
「そんなの知らない。ちゃんと話してくれたらよかったのに、ひどいよ」
「ごめん。もう2度としないから、許してくれよ」
「2度としないって誓えるの?」
「ああ、2度とお前を離さない。チャンミナ、お前が好きだ」
「ヒョン、僕も、僕もずっと言いたかった。ヒョンが大好き…ヒョンと離れたくない」
「ずっと離さないよ」
そういうと、俺はチャンミンをソファに押し倒した。
to be continued ...
(画像はお借りしています)
