新学期が始まり、僕は新しい学校に通い始めた。

まだ慣れない土地での生活、そして慣れない学校、まだ友達もできないけれど、

僕の心はいつもあの夏の終わりの、あの場所へと向かっている。


クラスメートはみんな親切だったし、転校生が珍しいのか、

他所のクラスや上級生までもが僕を見に教室にやってくる。

転校初日以来、僕はなぜかいつもたくさんの人に囲まれていた。

前の学校では目立たない方だったし、仲間と騒ぐより一人で本を読むのが好きな僕は、

あまりの注目される状況に全くなじむことができない。

転校してから2週間でとうとう僕はストレスで倒れてしまった。


意識ははっきりしているのに、体がだるくて吐き気もする。

保健室で休ませてもらってから早退するようにと言われた。


養護の先生は以前僕に声をかけてきた先生だった。


「心配した通りだな。君みたいな可愛い子は注目されると思ったんだよ」


「僕、男です。可愛くなんか…」


「まわりもみんな男ばっかりだよ。ここは教員も含めて全員男だろ?」


「はい」


「だから可愛らしいのはみんなにちやほやされるんだ。

でも君はそういうのを受け入れるタイプじゃなさそうだもんな。

まあ、ストレスだろう。少し一人になれる場所が必要かもしれないな」


「はい」


「ここに来たいときはいつでもどうぞ。俺は部屋にいない時もあるから」


「はい。ありがとうございます。少し休ませていただいたら帰ります」


「その方がいいな。俺はこれから出かけるから好きなようにしていいから」


先生はそう言うと、どこかへ行ってしまった。


誰もいなくなった保健室はひんやりとして気持ちよかった。

しばらくはベッドで目をつぶっていたけれど、慣れない場所で一人で眠ることはできない。

それよりもせっかく誰にも見咎められずにあの場所に行けるチャンスじゃないか。

そう思ったらなんか具合が悪いのもよくなってしまった気がする。

僕はそっと保健室を抜け出し、あの場所へ向かった。


この間は校舎の裏口からまっすぐ歩いていったが、それだと廊下から丸見えだ。

今は授業中だから生徒はいないけれど、先生に見つかったら怒られるだろう。

誰の目にも留まらずあの場所に行く方法がないか、僕は窓の外を見つめながら思案した。


そのとき、風に乗ってピアノの音が聞こえてきた。

旧校舎からは離れているけれど、講堂の隣に音楽堂を兼ねた礼拝堂があった。

朝の礼拝のときはオルガンを使っているけれど、きっとどこかにピアノも置いてあるのだろう。

音楽堂の通路をぬければ、遠回りにはあるけれど、もしかしたら…。

僕は早速そのルートを試してみることにした。


広い校舎の端まで歩き、音楽堂への通路に入る。

ここは後からつけ足した通路のようで、校舎からは人の出入りが見えない。

音楽堂は朝の礼拝が終わると放課後までは扉に鍵がかかっているようで

中を伺うことはできなかったが、外に出られる小さな通用口があった。

鍵を開けて外に出ると、そこは森のように木が生い茂り、その先に旧校舎の屋根が見えた。


やった。

思った通り、ここからなら誰にも見つからずにあの場所に行ける。

僕は自分の勘を褒めてやりたくなった。

興奮する気持ちを抑えつつ、やっと念願の旧校舎にたどりつく。

今日はこの間中に入れなかった温室をまっすぐ目指して歩いていった。


もう誰に使われていないのだろうか、その温室の中は伸び放題の植物に覆われ、

外の庭には種が飛んできたのか、カミツレやコスモスなどの花がひっそりと咲いていた。


思ったより日が当たる明るい庭と小さな温室、

ここなら一人でゆっくりできるかもしれない。

誰にも見つからないようにここに来よう、そう心に決めたとき、

なんだか煙のような臭いが鼻をかすめた。


火事?僕は慌てて温室の中に飛び込んだ。

次の瞬間腕を強く引かれ、僕は倒されてしまった。


「誰だ?おまえ」


まさか人がいるとは思わなかった。

いきなり地面に押し倒されて、僕は何が起こったかわからない。


「あの、どうしてここに…」


「その質問そっくり返してやるよ。見かけない顔だな。ここは立ち入り禁止だ」


僕にのしかかるようにしているその人は上級生らしかった。

ちょっと怖かったけど、勇気を振り絞って尋ねてみた。


「先輩は?」


「俺はいいの。お前…ふーん、シム・チャンミンね。噂の転校生か」


「僕の名前、どうして?」


「名札」


その人は面白くもなさそうにあごをしゃくって見せる。

僕も名札を探すと、胸に名札はついていなかった。

それどころか、詰襟のホック止めず、ボタンもはずして着崩していた。


「先輩は名札つけてないんですか?」


「俺か?誰でもいいだろ」


「よくないです。僕の名前は知ってるのに、教えてくれないんですか?」


「何?お前俺に興味あんの?」


先輩は僕の顎を捉えると、顔を覗き込んだ。

こんなに近くで他人に見られることなんてないから

なんだか落ち着かない気分だ。


「やめてください」


「何を?」


「手を離してください」


「イヤだと言ったら?」


「どうして?」


「お前さ、今日ここで俺に会ったこともここで見たこともすべて他言無用だ。

いいか?シム・チャンミン。約束しないと離さないよ」


「誰にも何も言いませんだから…」


離してください、という言葉は言えなかった。

なぜなら僕の唇はその先輩の唇にふさがれてしまったから。


「ほら、これが約束の印。内緒だからな」


突然のキスに驚いて大きく目を見開いたまま何も言えない僕を見て微笑むと、

また僕の唇をふさぐ。


「お前、抵抗しなくていいの?そんなんじゃ喰われちゃうぞ」


「喰われるって?」


「わかんないならいい。俺とお前、2人だけの秘密だから」


「今のも内緒なの?」


「当たり前だろ?お前男とキスするのが好きなの?」


「まさか、こんなの初めてなのに…」


「ファーストキスか。じゃあこれからヒョンって呼べよ」


「ヒョン?名前は教えてくれないの?」


「そのうちな。また会えたら考えておくよ」


「ここに来たらヒョンに会えるの?」


「なんだ?チャンミナ、俺にまた会いたい?」


「うん。ヒョンの名前が知りたいから…」


「知りたいのは俺の名前だけ?」


そう言いながら、ヒョンはまた僕の唇にキスをする。

なんだか不思議な感じだ。

誰ともこんなことしたことない。

ヒョンはどう見たって男の人なのに、なぜか気持ち悪いともイヤだとも思わなかった。

それよりも優しく触れられた唇がなんだかくすぐったくて、もっとしてみたいと思った。


それで僕はヒョンの首に腕をまわして目を閉じてみた。

なんだかそうするのがいいような気がしたからだ。


「こら、誘うなよ」


ヒョンはそう言って、今度はもうちょっと長いキスをした。

ヒョンの唇は思ったより柔らかくて気持ちよかった。



to be continued ...






月の明るい夜は君と手をつないで歩こう