時間が止まったような、音がしないような、そこにいる自分が透明に、とけていくような、いや、凍りつくような、静かな風景だった。
究極に美しい光景は、極限に近いほど出会いやすいのか。
雪の八ヶ岳に訪れたのは、そのころの私の恒例行事になっていた。毎年の正月を山で向かえ、初日の出を拝んで帰ってくるのだ。
何しろはじめて行った17歳の時のご来光が見事で、秩父の方まで雲海が広がり、朱色に染まる朝焼けの、それはすばらしい日の出だった。
そのご来光を再び見たくて、何度も大晦日に八ヶ岳に出かけていた。その間に、他にも沢山の美しい情景に出会った。木々に積もり日を浴びて輝く雪。山肌から烈風にさらされて舞い飛ぶ雪。ダイヤモンドダスト。いてついた夜に瞬く満天の星。悪天の兆しでもあるが、遠くからやってくるレンズ雲は、本当に凸レンズのようにつるんとしたきれいなフォルムだ。(ただし現れてから2時間もしないうちに吹雪になる)
山小屋で宴会をしていたある年の大晦日。良く晴れた、特有の風の強い晩だった。空気は特に澄んでいた。
下戸のくせにけっこう呑んで、トイレに立った。小屋の、重い開き戸を開いて、薄く積もった雪を踏む。風が冷たいので顔が切り裂かれるように痛い。マイナス20℃くらいまで下がったろうか。明日はきれいなご来光が期待できそうだ―――。
目をあげて、息を呑んだ。いや、一瞬にして、呼吸をするのをやめさせられたというべきか。アルコールでぼうっとしていた頭が、寒さもあってかきりっと醒め、時間がとまった。見たことのない光景が、まるで「世界」のように広がっていた。別の星か別の次元か、信じられないほどの透明感のある光が、静かに柔らかく雪山を照らしていた。今そこで騒がしく年をわすれようとしている楽しく暖かい仲間たちとはまったく隔絶された、「碧き世界」が、足元から目を上げたその一瞬で、私をその凍りついた空虚な世界の魅力にものすごい力で引き込んだ。
こんなに月の光が青いなんて!
人間が作り出すさまざまの事にはまったく関連せず、まるではじめからそうであった様に凍りついた山、音もなく吹きぬける風は確かに世界中を旅しているんだという威厳に満ちた感じがした。誰が見ていなくても、いつの時代にもこの美しい景色が存在し、たまたま今日、私が静かなその世界にふみこんだ。恐らく地球上のあらゆる場所で、自然が作り出す美しい風景があるのだろうが、それらは皆こうして時間の流れのなくなったような、ただ黙ってそこに静かに存在しているだけ、何万年も、何億年も、きっと地球と月と太陽とが光と影を創り、風を起こし、さまざまな表情を作り出しては消し、また創りなおし、季節によって条件に合った一番美しい風景をつくっていたのだろう。
時間も、音も消えたように感じていた。きっと寒さもわからなくなっていたのだろう。ただ、見とれていた時間はほんの十秒程度だったように思う。しかし一気にその「世界」に引き込まれた私は、とまった時間の中をしばらく旅したのだ。
もう、山に行かなくなって15年近くになります。若いころ、感受性に任せて書いたものですが、ワタシ自身が好きな文章。とてもブンガク青年っぽい。
文体が硬いですが、ワタシとしては、雪山のいてつく空気の感じを出そうとしながら書いていたらこんな感じになってしまったようです。
これを実際に目の当たりにしたときの感動は忘れられません。
また見に行きたい!
でも寒いんだよな・・・たしかこのときの気温はマイナス20度くらいだったから。