ここ数日は少し収まった感があるが、文部科学省と財務省のバトルが話題になっていた。焦点は、小学校1年生の「学級定数」について。1学級「40人」を主張する財務省に対し、1学級「35人」の維持を譲らない文科省が、激しく論戦を交わしている。

小1の学級定員をめぐっては、平成23年に「40」から「35」に引き下げられた経緯がある。ちなみに、この数字は上限。例えば、1学年に小1が40人なら1クラス、41人なら2クラスとなる。先生の数も、それに応じて割り当てられる。

ちなみに、小学校の2年以上の学級定数は「40」。中学校も「40」。つまり、小1だけは、まだ幼い児童を40人見るのは厳しいだろうという配慮で、上限を「35」に引き下げたわけだ。

ところが、それを「元に戻す」と財務省が言ってきた。理由はなぜか。「35に下げたが、何ら効果が見えない」と表向きは言う。だが、本音は違う。要は「カネがない」のである。

小1の「40人学級」に無理があることは、ずっと以前から指摘されていたことだ。「小1プログラム」を持ち出すまでもなく、小1の教室を覗けば一目瞭然。ちょっと前まで、幼稚園で床をゴロゴロしていた子ども40人をきちんと机に座らせ、45分間話を聞かせることは、名人芸に近い。

だが、この理屈を持ちだして、「お金が必要だ」と言ってもラチは開かない。国の財布は一つ。そこから、生活福祉から介護、景気対策に至るまで、あらゆる事業にお金を出さねばならない。文科省がいくら「必要」と主張しても、他事業との公平・公正な比較は難しい。

むしろ、着目すべきは、GDPに占める教育公費の比率であろう。経済力・豊かさを一つの尺度として、国が「教育」という未来投資にどのくらいのお金を割いているかである。

一般の人には意外と知られていないが、日本はこれが極めて低い。先進国では、ほぼ最下位の地位に甘んじている。(日本は3.6%、平均は5.4%、最高はデンマークの7.6%。2010年調査)

一方で、家庭が負担する教育費はというと、先進国の中でも上位に位置する。極論を言えば、日本という国は、子どもの教育を「国」が担わず、「家庭」に任せようとしているわけである。

家庭には、経済格差があるので、当然、教育にお金をかけられる家と、そうでない家が出てくる。そして、経済格差は、いつしか教育格差、学力格差へとつながっていく。

日本の少子化が進む背景には、こうした事情、すなわち「子どもを産むとお金がかかるから…」「子どもに十分な教育を与えられなさそうだから…」という保護者の思いも、少なからずあるのではないだろうか。

文科省には、このへんの理屈も出しながら、財務省と戦ってほしい。