ソチ五輪や都知事選などの裏側で、ほとんどニュースになっていないが、教育委員会制度改革が進んでいる。与党が中心となって、「新教育長」なるポストを創設することで合意に至ったとのことだが、この制度、とにかくわかりにくい。そもそも、教育委員会制度をめぐっては、それがどんな仕組みで、どんな仕事をしているか、よくわかっていない人も多い。

教育委員会をめぐっては「誤解」も多い。例えば、保護者などが「教育委員会に言いつけるぞ!」などとクレームをよこす際の「教育委員会」は、役所の中の一組織である教育委員会の「事務局」を指す。しかし、本来的に「教育委員会」とは、5名の教育委員から成る行政委員会のことを指し、この辺の用語の錯綜が、制度理解を妨げている。

ごく簡単に説明すると、教育委員会とは3~5名の委員から成る合議制の行政委員会で、都道府県と区市町村に設置されている。会合は月に数回。委員は1人を除いて非常勤。その自治体に住む医者だったり、弁護士だったり、元校長だったり、保護者だったりする。

この教育委員会で決定した事項を実行していくのが、事務局である公務員組織、いわゆる「教育委員会事務局」である。これを略して「教育委員会」と言っていることから、混乱が始まっている。その反省に立ってか、東京都などは教育委員会事務局を「教育庁」としているが、これがまた「教育長」と混乱して非常にややこしい。

5名の委員から成る教育委員会が、月に数回の会合で何を話し合っているかといえば、その自治体の教育施策についてである。…と言いたいところだが、実態はというと、教育委員会事務局が作ってきた案を承認するだけ…という所も多い。もちろん、委員が活発にアイディアを出しあい、企画立案している所もあるが、決して数は多くないだろう。

先ほど、委員5人のうち「1人を除いて非常勤」と書いたが、この例外の1人が教育長である。これは、教育委員会事務局のトップであり、地方公務員である。現場の教員上がりの人も少なくない。

それとは別に、教育委員長というポストがある。これは残る4人のうち1人がなるもので、委員の互選によって選ばれる。いわば、教育長と教育委員長という「2トップ」がいるわけで、これを一本化しようというのが、今回の改革案なのである。

それにしても、なぜにこんなややこしい仕組みをとっているのか。それは、戦後のGHQ施策と深く関連がある。

戦時中、日本は偏った教育により、多くの人たちが皇国史観を叩きこまれ、それが日本を戦争に導いたという認識から、GHQは大幅な教育改革に乗り出した。そして、教育基本法の制定、国定教科書の検定化などとセットで導入されたのが、アメリカで採用されていた教育委員会制度である。

いわば、国ではなく、地方単位で教育内容を決めることで、教育内容の「偏向」を防ぐのが、この制度の目的である。そのため、教育委員はあえて「専門外」の人たちで構成することとした。(これを「レイマン(素人)コントロール」という)その趣旨は、裁判員制度と同じで、一般人の感覚を取り入れることで、公正さを保つところにある。

ここで一つ、疑問が生じる。レイマンコントロールによる公正さを保つのに、なぜ教育委員を任命するのが、首長なのかという点である。首長が自分に親しい人、価値観の近い人を連れてくれば、レイマンコントロールなんぞ、成り立つはずもない。実際、一部の自治体では、首長の思想に共鳴する人たちで固められているところもある。

こうなると、教育委員会制度など、何ら意味がないようにも思われる。ただ、委員を任命できるのは1年に1人。5人の委員すべてを自分色に染めるには5年を要する計算になる。その意味で、一定の歯止め機能があるとの見方もできなくはない。

実を言うと、教育委員はその昔、公選制であった。住民の選挙によって選ばれていたのである。ウソ!と言いたくなるかもしれないが、本当の話である。だが、いろいろな問題があって、あっという間に公選制は廃止され、首長の任命によって、選ばれるようになって現在に至る。

こうして見ても、教育委員会制度が、非常に複雑な生い立ちをたどっていることがわかる。そんなイビツで、矛盾を内包した制度が、もう半世紀以上にわたって続いているのだから、制度疲労を起こしても仕方がない。

一方で懸念されるのが、「歯止め」機能をいかに確保するかである。首長の中には、自らの価値観を一方的に押し付け、学校教育に浸透させようと考える人だっているかもしれない。そうした首長の「暴走」に少しの歯止めもかからなくなれば、保護者が首をかしげるような教育活動が展開されてしまう可能性だってある。

こう考えても、非常に難しい。教育委員会制度の改革そのものに反対はしないが、慎重さが求められるのは確かだろ。成り行きを見守っていきたい。