先日、山崎豊子の『二つの祖国』を読み、ほぼタイミングを同じくして、2010年に放映されたドラマ『99年の愛』をDVDで観た。どちらも日系二世の生涯を描いた作品。ストーリーもかなり似通っていて、共に小説を読み、ドラマを観た妻は「混同する~!」と苦笑いしていた。
『二つの祖国』は、日系二世としてアメリカで生まれ育った男が、日本の真珠湾攻撃によって強制収容所に送られ、その後アメリカ軍に入って戦い、戦後は極東軍事裁判(東京裁判)に関わるというストーリー。
太平洋戦争下における日系米人の立場、フィリピン戦線の状況、東京裁判の様子などが非常に克明に綴られていて、小説としてはもちろん、歴史書として価値の高い作品だと思った。
今から30年近く前、NHKで『山河燃ゆ』という大河ドラマが放映されたが、この原作となったのが本作。主人公の天羽賢治を演じたのは松本幸四郎。その弟の忠を西田敏行、ライバルであり友人のチャーリー田宮を沢田研二が演じていた。
まだ小学生だった私は、今ひとつ物語の核心を捉えられないでいたが、東京裁判のシーンで、被告に「絞首刑(death by hanging)」が言い渡されるシーンだけは、強く記憶に刻まれている。
原作は、東京裁判でのやり取りを非常に克明に描写しているが、大河ドラマの方は廣田弘毅と東郷茂徳の二人にスポットを当てていた。廣田は、A級戦犯で死刑を言い渡された者のうち、唯一の文官。軍人ではない、外務官僚上がりの元総理である。
廣田弘毅の生涯については、城山三郎の『落日燃ゆ』に詳しく描かれているが、彼は協調外交を路線にした平和主義者であり、「自分が総理のうちは、絶対に戦争は起こさない」と言い張り、幾度となく軍部と衝突した人物である。
そんな彼が、煮え湯を飲まされ続けた軍の幹部(土肥原賢二、板垣征四郎等)たちと共に、巣鴨プリズンに収容され、処刑されたのは皮肉としか言いようがない。当時、廣田の死刑判決には、多くの関係者が驚き、検察関係者の中でさえ「馬鹿げた判決だ」と言った者がいたそうである。
この判決には、「罪」の重さに対する「罰」という以上の、政治的な事情があったのかもしれない。
話は戻って、『99年の愛』。こちらは最近のドラマとあってとにかく映像の美しさ、スケール感に圧倒されてしまったた。
テーマが重いだけに、「そんな所に注目してどうする!」と突っ込まれそうだが、ロッキー山脈の壮大な風景、透き通った沖縄の砂浜、原爆が落とされ焼け野原となった広島などの風景が、とにかく美しく、心に刻み込まれた。
その美しい風景描写は、残酷で悲しいストーリーとの対比という意味でも、効果的な演出だったように思う。
日系二世だけで編制された「第442連隊」の活躍が、多くのアメリカ人の心を捉え、その後の日系アメリカ人の社会的地位を押し上げたという描き方は、やや誇張があるかもしれないが、文脈としては間違っていないのだろう。
いずれの作品もテーマとなっているのは戦争。戦争がいかに人を苦しめ、人と人の絆と切り裂いてきたかを「家族」という視点で描いている。
完全に平和ボケしている自分には、淡々とした歴史小説より、そうした目線で綴られたストーリーの方が、リアリティを持つことができた。
戦争が終わったのは、今から67年前。40歳の自分が生まれる27年前の出来事と考えれば、そう遠い過去の話ではない。
果たして「平和ボケ」なんぞしていてよいものか。これらの作品を読んで観て、ふとそんなことを思った。
『二つの祖国』は、日系二世としてアメリカで生まれ育った男が、日本の真珠湾攻撃によって強制収容所に送られ、その後アメリカ軍に入って戦い、戦後は極東軍事裁判(東京裁判)に関わるというストーリー。
太平洋戦争下における日系米人の立場、フィリピン戦線の状況、東京裁判の様子などが非常に克明に綴られていて、小説としてはもちろん、歴史書として価値の高い作品だと思った。
今から30年近く前、NHKで『山河燃ゆ』という大河ドラマが放映されたが、この原作となったのが本作。主人公の天羽賢治を演じたのは松本幸四郎。その弟の忠を西田敏行、ライバルであり友人のチャーリー田宮を沢田研二が演じていた。
まだ小学生だった私は、今ひとつ物語の核心を捉えられないでいたが、東京裁判のシーンで、被告に「絞首刑(death by hanging)」が言い渡されるシーンだけは、強く記憶に刻まれている。
原作は、東京裁判でのやり取りを非常に克明に描写しているが、大河ドラマの方は廣田弘毅と東郷茂徳の二人にスポットを当てていた。廣田は、A級戦犯で死刑を言い渡された者のうち、唯一の文官。軍人ではない、外務官僚上がりの元総理である。
廣田弘毅の生涯については、城山三郎の『落日燃ゆ』に詳しく描かれているが、彼は協調外交を路線にした平和主義者であり、「自分が総理のうちは、絶対に戦争は起こさない」と言い張り、幾度となく軍部と衝突した人物である。
そんな彼が、煮え湯を飲まされ続けた軍の幹部(土肥原賢二、板垣征四郎等)たちと共に、巣鴨プリズンに収容され、処刑されたのは皮肉としか言いようがない。当時、廣田の死刑判決には、多くの関係者が驚き、検察関係者の中でさえ「馬鹿げた判決だ」と言った者がいたそうである。
この判決には、「罪」の重さに対する「罰」という以上の、政治的な事情があったのかもしれない。
話は戻って、『99年の愛』。こちらは最近のドラマとあってとにかく映像の美しさ、スケール感に圧倒されてしまったた。
テーマが重いだけに、「そんな所に注目してどうする!」と突っ込まれそうだが、ロッキー山脈の壮大な風景、透き通った沖縄の砂浜、原爆が落とされ焼け野原となった広島などの風景が、とにかく美しく、心に刻み込まれた。
その美しい風景描写は、残酷で悲しいストーリーとの対比という意味でも、効果的な演出だったように思う。
日系二世だけで編制された「第442連隊」の活躍が、多くのアメリカ人の心を捉え、その後の日系アメリカ人の社会的地位を押し上げたという描き方は、やや誇張があるかもしれないが、文脈としては間違っていないのだろう。
いずれの作品もテーマとなっているのは戦争。戦争がいかに人を苦しめ、人と人の絆と切り裂いてきたかを「家族」という視点で描いている。
完全に平和ボケしている自分には、淡々とした歴史小説より、そうした目線で綴られたストーリーの方が、リアリティを持つことができた。
戦争が終わったのは、今から67年前。40歳の自分が生まれる27年前の出来事と考えれば、そう遠い過去の話ではない。
果たして「平和ボケ」なんぞしていてよいものか。これらの作品を読んで観て、ふとそんなことを思った。