10年以上前に、安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』という曲が大ヒットしましたが、ふと思い返すと、他人の結婚式というものに出席する機会が、本当に少なくなりました。
ちょうど10年くらい前までは、友人の挙式・披露宴に出席する機会も多く、『CAN YOU CELEBRATE?』も耳にすることが多かったように思います。当時、私は貧乏の極みで、毎月のように出ていくご祝儀を恨めしく思ったものでした。
でも、不思議なことに、「お金が厳しいから断ろうか・・・」との思いはなく、また招待されることへの辛さ、厳しさは、まったくありませんでした。むしろ、挙式・披露宴という人生の輝かしき場に、自分を呼んでくれたことに感謝したものです。
『CAN YOU CELEBRATE?』は、直訳すれば「祝福できますか?」。
当時、お金がなくて電車に乗ることすらはばかられ、自転車通勤をしていた私ですが、少なくともその問いに大しては、「Yes!」と答えることができたんじゃないかと思います。
他人の幸せを喜ぶ――自分は、比較的それができるタイプというか、ごく当たり前のことと思ってきました。
それは、別に特別なことではなく、自分の周りにいる人がハッピーになれば、自分に対する風当たりも柔らかくなり、自分もハッピーな気分になれるからです。
逆に、相手が不幸でギスギスしていると、周囲への風当たりが厳しくなり、その気分は自分にまで伝染してしまいます。
だから、一人でも多くの知人、友人が、ハッピーになってほしいと、ごく普通に思っています。
別に、「他人思い」なわけでもなく、言ってみれば「自分のため」です。
でも、妻にそんな話をすると、「珍しいよ。そういう人」と言われました。
確かに、言われてみれば、全く逆の「他人の不幸を喜ぶ人」は、意外と多いのかもしれません。
「試験に落ちた」「失業した」「失恋した」「離婚した」等々、親友や親族は別として、少し離れた知人に関してそんなニュースが流れてくると、「喜ぶ」までいかないにしても、少し心が落ち着く人は多いと思います。
以前、ライブドア(当時)の堀江貴文氏が逮捕された時、号外を持って喜びの奇声をあげていた人の姿が、今でも忘れられません。
不思議なものです。他人が試験に落ちても、失業しても、離婚しても、自分には何のメリットももたらされないのですから。
なぜ、そうなってしまうのでしょうか。自分と他人を比べてしまうから、他人の失墜が自身の心の安定につながるのでしょうか。
だとすれば、あまりにも寂しすぎます。
他人の幸せを祝福できますか?その問いかけに対し、多くの人が「Yes」と答えられる。
そんな社会ができればいいなと心から思います。
ちょうど10年くらい前までは、友人の挙式・披露宴に出席する機会も多く、『CAN YOU CELEBRATE?』も耳にすることが多かったように思います。当時、私は貧乏の極みで、毎月のように出ていくご祝儀を恨めしく思ったものでした。
でも、不思議なことに、「お金が厳しいから断ろうか・・・」との思いはなく、また招待されることへの辛さ、厳しさは、まったくありませんでした。むしろ、挙式・披露宴という人生の輝かしき場に、自分を呼んでくれたことに感謝したものです。
『CAN YOU CELEBRATE?』は、直訳すれば「祝福できますか?」。
当時、お金がなくて電車に乗ることすらはばかられ、自転車通勤をしていた私ですが、少なくともその問いに大しては、「Yes!」と答えることができたんじゃないかと思います。
他人の幸せを喜ぶ――自分は、比較的それができるタイプというか、ごく当たり前のことと思ってきました。
それは、別に特別なことではなく、自分の周りにいる人がハッピーになれば、自分に対する風当たりも柔らかくなり、自分もハッピーな気分になれるからです。
逆に、相手が不幸でギスギスしていると、周囲への風当たりが厳しくなり、その気分は自分にまで伝染してしまいます。
だから、一人でも多くの知人、友人が、ハッピーになってほしいと、ごく普通に思っています。
別に、「他人思い」なわけでもなく、言ってみれば「自分のため」です。
でも、妻にそんな話をすると、「珍しいよ。そういう人」と言われました。
確かに、言われてみれば、全く逆の「他人の不幸を喜ぶ人」は、意外と多いのかもしれません。
「試験に落ちた」「失業した」「失恋した」「離婚した」等々、親友や親族は別として、少し離れた知人に関してそんなニュースが流れてくると、「喜ぶ」までいかないにしても、少し心が落ち着く人は多いと思います。
以前、ライブドア(当時)の堀江貴文氏が逮捕された時、号外を持って喜びの奇声をあげていた人の姿が、今でも忘れられません。
不思議なものです。他人が試験に落ちても、失業しても、離婚しても、自分には何のメリットももたらされないのですから。
なぜ、そうなってしまうのでしょうか。自分と他人を比べてしまうから、他人の失墜が自身の心の安定につながるのでしょうか。
だとすれば、あまりにも寂しすぎます。
他人の幸せを祝福できますか?その問いかけに対し、多くの人が「Yes」と答えられる。
そんな社会ができればいいなと心から思います。