知人からTwitterで、「今日の朝日新聞の声欄を見てほしい」との連絡があり、該当箇所を開いてみて愕然としました。

保護者からの「給食費を払っているのだから、『いただきます』を言うのはおかしい」とのクレームを受け、「いただきます」を言わなくなった学校があるのだそうです。

もう、一体何がどうなっているのやら・・・。クレームを付ける保護者も保護者なら、それに従う学校も学校です。

投稿を読んだところ、その学校では「いただきます」を言うかわりに、先生が「ピーッ」と笛を鳴らして、子どもたちが一斉に食事を始めるそうです。他に、太鼓の合図で食べ始める学校もあるとのことです。ちょっと想像してみただけでも、異様な光景だと思いませんか?

「いただきます」を言うのは、お金を払っているか否かの問題ではありません。この言葉を口にするのは、食に携わる人達への感謝の念の表れであり、その精神は今多くの学校が取り組んでいる「食育」の原点でもあります。

その屁理屈を通せば、国の税金で運営されている学校から教育を受けるのは当然であり、教師は単なるサービス提供者にすぎず、何の尊敬も払わなくてよいということになります。

そんな関係性の中で、果たして教育活動が成り立つのでしょうか。体面上は「成り立つ」のかもしれませんが、そんな学校で育った人間なんぞ、私は絶対に雇いたくありません。

「いただきます」と言うのは、理屈うんぬんの話ではなく「決まりだから」で終わる話です。屁理屈を聞く必要なんぞ、まったくもってありません。

藤原正彦氏が著書の中で「人を殺してはダメという理屈は、理論的には完璧に証明することはできない。だからこそ、ダメなものはダメという教育が大切」と書いていましたが、「いただきます」もまったく同じ話だと思います。

以前、「うちの子は自己紹介が苦手だから、させないでくれ」という保護者からの要望を受け、一人ずつ教室の前に出ては名前が描かれた紙を無言で提示する方法を取った学校があるという話を、知人の大学教授から聞きました。

これも類似した話でしょう。でも、「いただきます」を言わない人間や「自己紹介」ができない人間になってしまえば、一番困るのは本人であり、その保護者です。

世の中には、一部でとんでもないことを言う人がいます。そんな話を真に受けていたら、百害あって一利なしです。

学校の先生、特に校長先生は、自分の教育観を信じ、強い気持ちを持って、子どもや保護者と向き合ってほしいなと思います。