私たち、プロダクションの人間やフリーのライターは、「日本語」で商売をしています。だからこそ、「日本語」を間違えると、とんでもなく恥ずかしい思いをします。

知人のライターさんが「書き入れ時」「掻き入れ時」だと勘違いして、恥ずかしい思いをしたと話していました。

普通の人なら、「ありがちな間違い」で片付けられる話ですが、職業が職業だけに、誤植が即、信用問題に発展します。一つの原稿に同様のミスを連発していたり、会話で間違った日本語がたびたび出てくれば、信用性を疑われ、仕事を頼まれなくなる可能性だってあるでしょう。

私も、何度か恥ずかしい日本語の間違い、勘違いを披露してしまったことがあります。「身を粉にして」を「みをこなにして」と読んでしまったのは愛嬌として、「出汁巻き」を読めず、「でじるまきください!」と大声で言ってしまったことなんか、今思い返しても額に脂汗がにじんできます。

いずれも若い頃の話・・・とご容赦いただくとして、日本語には微妙な「揺らぎ」もあり、誤用か否かの判断が難しいものも少なくありません。

例えば「檄を飛ばす」なんかは、本来の意味は「自分の考えを広く知らせる」ですが、今では「刺激を与えて激励する」「ハッパをかける」みたいな使われ方が、一般化しています。

スポーツ新聞などを読んでも「星野監督が檄を飛ばしました」なんて文章が、たびたび見られます。

しおどき」も、本来は「適切なタイミング」で使う言葉ですが、多くの人が「いいかげん、そろそろしおどきだろう」といった感じで、マイナスイメージで使っています。

そんな揺らぎ気味で曖昧な日本語は、私たちの身の回りに溢れかえっています。「正しい」「間違い」を判断するのは難しく、会話で使って許されても、記事や原稿ではNGという言葉もあります。

ならばブログは?Twitterは?・・・と考え始めるとアタマがこんがらがりそうですが、大切なのは、新聞、雑誌、テレビ、ネットなど、より多くのメディアから日本語を受信し、世の中の最大公約数を押さえておくことなのでしょう。