大阪府の橋下知事が、先日からTwitterで「君が代」を起立斉唱しない教職員のことをこき下ろしまくっています。

「不起立は表現の自由でもなんでもない。単なるルール違反」「組織の一員として従うのは当然」「国旗、国歌がいやなら公務員をやめろ」等々、かなりの勢いでまくしたてています。言葉だけ拾うと、キツイのですが、すべて読むと相応に説得力があるのも事実です。ただ、少々感情的になりすぎている感は否めません。

私が見る限り、都内の小・中学校の卒業式で、起立しない教員はほとんどいません。昨年度、都で処分を受けた教員は6人。学校数から考えれば、微々たるものです。大阪も、状況はさほど違わないでしょう。

日教組も方向転換をする中、もはやこの問題については、決着がついた(?)様相すらありますが、橋下知事はこれでも飽き足らず、一人残らず撲滅せんという勢いです。ちょっと、サディスティックな感じすらします。

知事は、子どもたちが君が代を歌っているのに、起立しない教員がいることについて、教育上の問題を指摘しています。確かに、卒業式や入学式にそんな教員がいれば、子どもたちは多少なりとも不思議がるかもしれません。

でも、本当にそれが、教育的に問題なのでしょうか。その光景を見た子どもは、それだけで集団行動の意義を否定したり、指示に従わない自由を肯定したりするのでしょうか。

思い返せば、ちょうど私が高校時代に、国旗掲揚と国歌斉唱が義務化され、卒業式では「君が代」が流れました。その当時、式典では「国歌斉唱」と言わず、「伴奏が流れます」とだけ言い、歌う生徒もまばらでした。起立しない生徒、教員もいたように思います。そんな光景を見て、私は人それぞれの思想や信条というものがあるのだなと思いました。

小学生や中学生ならば、あるいはそんな風には思わず、「なんで、あの先生は起立しないんだろう?」と、不思議に思うかもしれません。でも、それが果たして教育上問題なのでしょうか。

橋下知事は、これは思想の問題ではなく、職務上の規律の問題だと言います。でも、「規律の問題」として片付けるには、まだ日の丸・君が代が背負いこんでいるものが、あまりにも大きすぎると感じるのは、私だけでしょうか。