私は常々、プロジェクトにはスピードが必要だと思っている。もちろん、時間をかければかけるだけ、良い仕事ができるとの考えも、わからなくはない。書籍づくりで言えば、一人でも多くの人がゲラをチェックし、何度でも読み込んで、修正を加えていけば、誤字脱字は減るだろうし、表記なども統一が図られるだろう。
しかし、「時間をかける」ことで失うものも多い。プロジェクトが立ち上がり、何度も何度も会議を重ねているうちに、少しずつ個々人のモチベーションが下がり、いいアイデアが出なくなったり、プロジェクト自体が頓挫してしまったりするケースを、私は何度となく見てきた。逆に、短期決戦で、皆が「厳しい」と思うくらいのスケジュールで進めたプロジェクトの方が、成功しているものは多い。
書籍づくりに関して言えば、誤字脱字が許されないのは当然のことで、これを軽視して良いと言っているわけではない。校正をきちんと行うことと、「時間をかけない」ことは決して相反する概念ではなく、十分に両立可能である。新聞なんぞ、あれだけのスピードで作っているにもかかわらず、ほとんど誤字がない。
文章というのは、最初に読んだ時には何ら気にならなかったことが、何度も読んでいるうちに、気になってくることがある。それで赤字修正を入れるのだが、良くなっていることもあれば、実際には読みにくくなっているケースもある。3回以上読み返した上で気になってくる部分というのは、「不安」か「自己満足」に依拠するものがほとんどだと私は思う。
複数の人の「目」が入り、気になる個所を直しているうちに、文章としては極めてリズムが悪く、読みにくいものになっているケースも少なくない。出版物は「民主主義」では作れないというのが、私の持論である。
さらに言えば、たかが100~150ページの本なんぞに、半年も1年もかけていたら、かさむ人件費は莫大なものになるだろう。そんな社員を抱えている経営陣は、たまったものではない。
自転車がある程度の速度で走ることで安定するように、プロジェクトにも一定速度以上の「スピード」が必要だと私は思う。スピードを失ったとき、プロジェクトはバランスを崩し、迷走したり、頓挫したりするのだと思う。
しかし、「時間をかける」ことで失うものも多い。プロジェクトが立ち上がり、何度も何度も会議を重ねているうちに、少しずつ個々人のモチベーションが下がり、いいアイデアが出なくなったり、プロジェクト自体が頓挫してしまったりするケースを、私は何度となく見てきた。逆に、短期決戦で、皆が「厳しい」と思うくらいのスケジュールで進めたプロジェクトの方が、成功しているものは多い。
書籍づくりに関して言えば、誤字脱字が許されないのは当然のことで、これを軽視して良いと言っているわけではない。校正をきちんと行うことと、「時間をかけない」ことは決して相反する概念ではなく、十分に両立可能である。新聞なんぞ、あれだけのスピードで作っているにもかかわらず、ほとんど誤字がない。
文章というのは、最初に読んだ時には何ら気にならなかったことが、何度も読んでいるうちに、気になってくることがある。それで赤字修正を入れるのだが、良くなっていることもあれば、実際には読みにくくなっているケースもある。3回以上読み返した上で気になってくる部分というのは、「不安」か「自己満足」に依拠するものがほとんどだと私は思う。
複数の人の「目」が入り、気になる個所を直しているうちに、文章としては極めてリズムが悪く、読みにくいものになっているケースも少なくない。出版物は「民主主義」では作れないというのが、私の持論である。
さらに言えば、たかが100~150ページの本なんぞに、半年も1年もかけていたら、かさむ人件費は莫大なものになるだろう。そんな社員を抱えている経営陣は、たまったものではない。
自転車がある程度の速度で走ることで安定するように、プロジェクトにも一定速度以上の「スピード」が必要だと私は思う。スピードを失ったとき、プロジェクトはバランスを崩し、迷走したり、頓挫したりするのだと思う。