記事タイトルとは全く無関係の話になりますが、仕事先の人と話をすると、よくこんな話が出てきます。「最近の若い人」についてです。

・上司や仲間とコミュニケーションを取ろうとしない
・協調性が無く、自分勝手
・「知識」ばかり豊富で、それを使う「知恵」が足りない
・頭でっかちで柔軟性がない


この見解の是非は別として、おおよそ>40~50代の責任ある立場の人達から見れば、今の20代はそんなイメージなのでしょう。

一つフォローさせてもらえば、この傾向は20代だけじゃなく、30代にも共通して言えるんじゃないかと思います。人と対話することや協調することの大切さは、キャリアを積み、社会で揉まれる中で、培われていく部分も大きいでしょう。

一方で、「最近の若者」について、次のようなことを言う人はほとんどいません。

・仕事がいい加減でミスが多い
・仕事の処理能力が低い
・知識が足りない
・真面目にコツコツと取り組もうとしない


もちろん、中には上記のような若者を部下に抱え、頭を悩ませている人もいることでしょう。でも、私の周囲を見渡す限り、「上司の愚痴」として出てくるものの多くは、コミュニケーション力や協調性の問題です。

何が言いたいのかといえば、「ゆとり教育」についてです。ご存じの通り、日本の「学力低下」が明らかになり、「ゆとり教育」が槍玉に挙げられました。

その結果、今回の指導要領改訂では、「総合的な学習の時間」が削減され、算数・数学などの一般教科の時間が増やされました。

もちろん、算数や数学の時数が増えたことは、望ましいことでしょう。でも、「総合」が週3時間から2時間に削減されたことは、残念極まりません。

「知識ばかりの詰め込みでは、社会で通用する人物が育たない」という確信のもと、10年以上の歳月をかけて検討し、ようやく導入したのが「総合」です。廃止にならなかったのは幸いとはいえ、もう少しだけでも活動が成熟し、ある程度の結果が出てからでも見直しは良かったんじゃないか・・・と思うのは、きっと私だけではないでしょう。

ふと思ったのは、「ゆとり教育」という言葉が、何らかの誤解を人々に与えているのではないかということです。国語や算数、理科などの学習内容を減らして、その分子どもたちを遊ばせているような印象を持つ人もいるようですが、決してそういうわけではありません。

学ぶ「知識」が減った分、コミュニケーションする力や人と協調して何かを実行する力、知識を使いこなす「知恵」を付けてやろうというのが、「ゆとり教育」の真の姿なのです。その意味では、別のふさわしい言葉を当ててやる方がよいのかもしれません。

「総合」の是非については、小学校の先生と中学校の先生でも、多少の温度差があるようです。ただ、問題は「今の社会人に足りない能力は何か」という本質的な議論を抜きに、マスコミの「学力低下」報道を真に受けて、現場を振り回すようなことは、してほしくありません