今日のYahoo!トピックに、こんなニュースが流れていました。

公園にクギ入りの犬の餌、誤って食べた犬も

何者かのイタズラで、公園にクギの入った餌がばらまかれていて、そこに散歩にやって来た犬が食べてしまったそうです。食べてしまった犬は、手術を受けたとのことで、可哀想な話です。

ここ数年、こうした奇っ怪な犯罪が、立て続けに起きています。

今年2月には、スーパーで売られている食料品に何者かが縫い針を入れるという事件もありました。

また、数年前には、「むしゃくしゃしていた」という理由から、アカの他人を駅のホームから突き落として殺すという事件もありました。

これらの犯罪に共通するのは、「動機」が不明確なことです。罪を実行することで、怨念を晴らせることもなければ、実利を得られるわけでもない。なのにこうした犯罪行為に及ぶ者が増えているのです。

思い返せば、包丁を持った男が無差別の子どもたちの命を奪った「附属池田小学校事件」、通りすがりの人を無差別に刺し殺した「秋葉原通り魔事件」なども、こうした動機不明な殺人の一例と言えるかもしれません。

誰かに恨まれることをしたわけでもないのに、たまたまそこに居合わせただけで、不幸にも命を落とさざるを得なかった人たちの無念さは、計り知れません。

こうした犯罪の「怨念」は、特定の誰かではなく、「社会」に対して向けられたものです。これを「防犯」と呼ばれるハードやソフトだけで防ぐのは、難しいものがあるでしょう。

何かと生きづらい世の中、誰にでも不満や焦り、遣る瀬無さ、悲壮感などが、少なからず鬱積しています。もし、そうした負の感情が、サーモグラフィのように可視化されれば、日本の国土は真っ赤になっているかもしれません。

動機不明な犯罪は、こうした熱から生まれる膿と捉えることもできるでしょう

犯罪を起こした人間を「異常」とレッテルを張って片付ければスッキリしますが、事態はそれほど単純ではありません。

社会に蓄積する熱をどうやって冷ますべきか。私たちは、真剣に考えねばならない時期に来ているのです。