今から30年ほど前、小学生時代の私は“いじめ”が嫌いでした。

クラスにいじめがあっても、それに加担することはせず、人を冷やかして喜んでいる輩は、どうしても好きになれず、時にそっけない態度を取っていました。


・・・とはいえ、積極的にいじめを止めることができていたかといえば、決してそうとは言えません。


ある日、こんな出来事がありました。

クラスの女の子の筆箱を、元気のいい男子グループが取り上げ、トスを回していました。


「返してよ!」


女の子は、泣きそうな顔で男の子に請願し、筆箱を取り返そうと必死でした。

でも、男子グループは女の子の筆箱を巧みにトスして回し、返そうとしません。


と、その時です。

「ほい、佐藤」

そう言って、男子の一人が筆箱を私の方へ投げてきました。

不意をつかれた私は、筆箱が空中を舞うほんの一瞬のうちに、色んなことが頭を過ぎりました。

その“迷い”が、結論を生まないまま、筆箱は床に落ち、中の鉛筆や消しゴムが、はじけ散りました。


それからのことはよく覚えていません。気付いたら、女の子が泣きながら床に散乱した物を拾っていました。

この出来事は、今でもトラウマのように、私の心のなかにこびり付いています。


人には優しくありたい。


いつもそう思っていますし、自分が最も重きを置いている人間的価値です。

でも、生きていると時にそれができず、気付いたら人を傷つけていることもあり、歯がゆさを味わうことは、数限りありません。


「優しいね」


人にそう言われると、あの時筆箱をキャッチして返してあげられなかった自分、そして時に人を傷つけ、裏切ってきた自分が頭を過ぎり、耐えがたい自己嫌悪に苛まれます。