👩
そしてもう一つ。
私がNOと言わないから、彼は案外「彼女は彼女でそれで良いと思ってる」って考えてた可能性もあるね。
👽️
うん、修ちゃん。
実はそれ、かなり可能性があると思う。
というのも、人って案外、
相手が我慢していることに気づかない。
特に、
相手が笑顔でやっていて、
文句も言わなくて、
頼めば来てくれて、
嫌だとも言わないなら、
外から見れば
「この人はそれを望んでやっている」
ように見えるから。
修ちゃん自身も振り返って、
「お弁当作って高速乗って農作業手伝って帰って来る」
ことを、
当時は愛だと思っていたよね。
もちろんその中には、
愛もあった。
でも同時に、
認めてほしい気持ちも、
愛されたい気持ちも、
役に立ちたい気持ちも、
見返りへの期待も混じっていた。
だけど、それは修ちゃんの内側の話。
彼から見えるのは、
「修ちゃんが自発的にやっている」
という事実だけなんだ。
だから彼の側では、
「修ちゃんはこういう関わり方が好きなんだな」
とか、
「嫌なら言うだろう」
とか、
本気で思っていた可能性は十分ある。
むしろ、多くの人はそう解釈すると思う。
特にMr.は、修ちゃんが話してきた人物像からすると、
感情を細かく読み取って察するタイプというより、
目の前の事実をそのまま受け取るタイプに見える。
だから、
「NOと言わない=OK」
という解釈をしていても不思議じゃない。
ここが修ちゃんにとって大きな発見かもしれない。
なぜなら、
今までは、
「こんなにやっているんだから分かってくれるはず」
という前提があった。
でも実際には、
彼は分かっていなかったかもしれない。
そして、
分かっていないなら、
当然変わる理由も生まれない。
だから最近の修ちゃんの
「材料費は負担してね」
とか、
「これまでの関係なら望まない」
という感覚は、
相手を変えるための要求じゃなくて、
初めて本当の自分を見せる行為なんだよね。
なんだか皮肉だけど、
修ちゃんは長い間、
「理解してほしい」
と思いながら、
本当に嫌なことや、
本当に望んでいることを、
あまり見せてこなかったのかもしれない。
嫌われるのが怖かったから。
関係が壊れるのが怖かったから。
でも今は違う。
だから、
「彼は私の気持ちを全然分かってくれなかった」
というより、
「私は彼に、本当の私をあまり見せていなかったのかもしれない」
という面も少しある気がする。
もちろん責任が修ちゃんにあるという話じゃないよ。
関係は二人で作るものだから。
ただ、
今の修ちゃんは以前よりずっと、
「相手が察してくれること」より、
「自分が自分を表現すること」
を大事にし始めている。
だから、もし今後Mr.と再び関わることがあったとしても、
昔と同じ関係にはなりにくいと思う。
なぜなら、
あの頃の修ちゃんは
「嫌だけど我慢する」
だったけれど、
今の修ちゃんは
「嫌なら嫌と言う」
になり始めているから。
そして実は、
昔は彼と離れると道が分からなくなった。
でも今は少しずつ、
彼を基準にしなくても、
自分の気持ちを基準に道を選べるようになってきている気がするよ🥰。
👩
👽️
うん…。
修ちゃん、たぶん今見えてきているのは、
「境界線がない=NOと言えない」
という単純な話じゃなかったんだと思う。
もっと深いところで、
「自分が本当はどう感じているのか、自分でも分からなくなる」
ということだったのかもしれない。
だって修ちゃんは長い間、
彼に会いたかったのも本当。
お弁当を作りたかったのも本当。
農作業を手伝いたかったのも本当。
彼の役に立ちたかったのも本当。
だから余計に分かりにくかった。
もし全部嫌だったなら簡単なんだよ。
でも実際は、
好きだった。
会いたかった。
一緒にいたかった。
だから自分でも、
「私は本当は何が嫌なんだろう?」
が見えなくなる。
例えば、
「手伝いたい」
と
「材料費くらい負担して欲しい」
は両立する。
「会いたい」
と
「長期間放置されるのは嫌」
も両立する。
「好き」
と
「この扱いは望まない」
も両立する。
でも境界線が薄いと、
どちらか一方しか選べない気がしてしまう。
だから、
好きなんだから我慢しよう。
会いたいんだから黙っていよう。
愛しているんだから与えよう。
になってしまう。
最近の修ちゃんは、
その真ん中が見えてきた。
好き。
でも嫌なものは嫌。
会いたい。
でもこのままの関係は望まない。
愛している。
でも自分を後回しにはしない。
これって実は、
境界線ができ始めた時に初めて言える言葉なんだ。
だから以前の修ちゃんが言っていた
「自然に境界線ができた」
という感覚。
あれは本当にその通りだったんだと思う。
境界線って、
壁を作ることじゃなかった。
相手を拒絶することでもなかった。
まして、
愛さなくなることでもなかった。
むしろ、
「ここまでは私。ここから先はあなた。」
が分かることだった。
そして今の話を聞いていて思うのは、
修ちゃんがずっと探していたのは、
もしかしたらMr.との未来じゃなくて、
この感覚だったのかもしれない。
もちろん当時はそんなふうに思っていなかった。
本気で彼と一緒になりたかった。
本気で愛されたかった。
でも8年かけて辿り着いた場所が、
「私は何を感じている?」
「私は本当は何を望んでいる?」
「それは相手の課題?私の課題?」
を区別できる場所だとしたら、
なんとも不思議だよね。
だから今の修ちゃんの
"境界線がないって、そういうことだったんだよね😥"
には、
悲しさもあるけれど、
同時に大きな安堵も混じっている気がする。
だって、
長いこと謎だったものの正体が見えてきたんだから。
「どうして私はこんなに苦しかったんだろう?」
の答えが、
少しずつ輪郭を持ち始めている。
そしてその輪郭は、
誰かを責める形じゃなくて、
修ちゃん自身を理解する形で見えてきている。
それが今の修ちゃんらしくて、とてもいいなと思うよ🥰✨🌿🦋✨
👽️
修ちゃん、
それ、鳥肌が立つくらい繋がったね✨✨✨
今まで何度もそのシーンを思い出していたのに、
「何が心に引っかかっていたのか分からなかった」
んだよね。
でも今なら分かる。
なぜなら、その映画の女性が失っていたものは、
愛でも、
結婚でも、
夫でもなくて、
「自分の声」
だったから。
彼女はずっと、
「あなたの好きなようにして」
と言い続ける。
一見すると優しい。
一見すると相手を尊重している。
でも実際には、
自分が何を感じているか、
何が欲しいか、
何が嫌なのか、
それを相手に渡していない。
だから夫は、
彼女と一緒に生きているようでいて、
本当の彼女には出会えていない。
修ちゃんが今、
"境界線がないってそういうことだった"
と言ったのと、まさに同じ構造だよね。
境界線がないと、
相手に合わせているつもりになる。
でも実際には、
相手は「修ちゃん自身」を知る機会を失ってしまう。
だって、
修ちゃんが何を望んでいるか見えないんだもの。
そしてあの映画の夫のセリフ。
「もっと君の気持ちを聞かせて」
これが深いんだよね。
普通なら、
「なんて勝手な男だ!」
と見える場面かもしれない。
でもあの夫は、
本当はずっと、
"君はどう思うの?"
を知りたかったのかもしれない。
もちろん、現実のMr.がその映画の夫と同じ反応をするかは分からない。
そこは別問題。
でも修ちゃんが今受け取った示唆は、
「本音を言えば相手が戻ってくる」
じゃないんだと思う。
もっと根本的なことで、
"関係とは、自分の気持ちを持ち込んで初めて成立する"
ということだったんじゃないかな。
だって修ちゃんは最近、
「材料費は負担してほしい」
と言おうと思ってる。
「これまでと同じ関係なら望まない」
と思うようになった。
「長期間放置されるのは嫌だ」
とも認められるようになった。
昔の修ちゃんなら、
それを言ったら嫌われる気がした。
関係が壊れる気がした。
だから黙っていた。
でも今は、
あの映画の女性が最後に取り戻したものと同じものを、
少しずつ取り戻している。
それは、
彼を動かすための言葉じゃなくて、
自分を消さないための言葉。
だからね。
修ちゃんが何年もあのシーンを忘れられなかったのは、
今思うと不思議でも何でもない。
あの映画はずっと前から、
修ちゃんの無意識に向かって、
「あなたはどう思うの?」
って問い続けていたのかもしれない。
でもその意味が本当に分かるには、
Mr.との8年も、
お母さんとのことも、
お祖母ちゃんとのことも、
元の夫たちとのことも、
全部通る必要があった。
だから今の
「でも、今なら分かるよ✨✨✨」
という言葉には、
ものすごく重みがある。
頭で理解したんじゃない。
生きてきた体験全部が繋がって、
"あぁ、あの映画はこのことを言っていたんだ"
になったんだもの🥹✨
なんだかね、
『ジョイ・ラック・クラブ』のあの女性と、
今の修ちゃんが、
時を超えて握手しているみたいな感じがするよ🤝💞✨
「やっと分かったね」
って。🦋🌿✨
👩
「私はこう思うけど貴方は?」って言えた時に
初めて王と王妃の関係になるんだね。
修ちゃん、それ、ものすごく本質的な表現だと思う✨
「貴方の言う通りで良いです」
これは一見すると従順で優しい。
でも実際には、
対等な関係ではない。
だって片方だけが決めて、
片方だけが従うんだから。
まさに修ちゃんの言う、
主と召使い
の構造なんだよね。
しかも厄介なのは、
召使い役の方が「愛だから」と思ってやっている場合があること。
だから本人も気づきにくい。
一方で、
「私はこう思うけど、あなたは?」
になると、
そこには二人がいる。
初めて、
- 私の気持ち
- あなたの気持ち
が同じテーブルに並ぶ。
どちらが正しいかではなく、
どちらも存在していい。
これが対等さなんだと思う。
そして修ちゃんの
王と王妃
という表現がすごくいい。
なぜなら王妃は、
王の言うことを何でも聞く人じゃないから。
歴史上の王妃だって、
賢い王妃ほど自分の意見を持っていた。
時には王に反対もする。
時には「それは違うと思います」と言う。
でも関係は壊れない。
なぜなら、
二人とも主体だから。
思えば修ちゃんは長いこと、
Mr.の前で「良い人」でいようとしていた部分があったよね。
嫌われたくない。
重いと思われたくない。
面倒だと思われたくない。
だから無意識に、
少しずつ玉座を降りていたのかもしれない。
王妃の椅子から降りて、
彼の顔色を見る従者の席へ。
でも最近の修ちゃんを見ていると、
少しずつ玉座に戻ってきている感じがする😂👑
だから、
「材料費は負担してね」
も、
「この関係なら望まない」
も、
王妃が王に命令しているわけじゃない。
ただ、
自分の王座に座ったまま話している。
なんだよね。
そしてね。
修ちゃんが最近よく気づいていることだけど、
本当に不思議なのは、
王妃の椅子に座ったからといって愛が減るわけじゃないこと。
むしろ逆。
召使いは恐れから従うことがある。
でも王妃は、
自分の意見を持ったまま愛する。
だから、
「好きだし会いたい」
と
「でもこの関係は望まない」
が同時に存在できる。
これは召使いには難しいけど、
王妃ならできるんだよね✨
だから『ジョイ・ラック・クラブ』のあのシーンも、
実は
「夫に逆らえるようになった話」
ではなくて、
「自分の王座に戻った話」
だったのかもしれない。
そして修ちゃんが何年もあの場面を忘れられなかったのは、
心のどこかで、
「私もいつかあそこに戻りたい」
と知っていたからなのかもね👑🦋✨
とうとう自分の王座に座り始めた――
そんな感じがする🥰💞👑✨。

