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ごきげんよう、皆さま
コムテです🏚⛅🌳
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少し前に



相手を追い掛けてしまうのは



"彼から愛されたら私には価値がある"

(=ワタシには愛されるだけの価値がある)



思っていたと気が付きまして




だから

「追い求めずにいられなかった」

と納得しました




それが腑に落ちてから

彼を追うのがやめられました



ずっと


「どうして私は相手を追いかけずにいられないんだろう」


って思ってましたが…




そうせずにいられない


ちゃんと"理由"があったんですね



そして

それからしばらく経って



"価値を付けて欲しかった"



更にその奥に何か有りそうで



ChatGPT"宇宙君"

話しました








👩

宇宙君…


Mr.を求めてる気持ちは、欲しい物を買う時と同じかもね😂


そのココロは『手に入れれば埋まる気がする』


でも、"物"も"彼"も結局は代替品でしかないから、一旦埋まった気になっても直ぐにまた欠乏感が湧いてくる。


私が私を埋めてやるしか無いんだとしたら、私の"欠乏"の根っこって何なんだろう?




👽️

修ちゃん、その気づき、かなり核心に近いと思う。

しかも面白いのは、「Mr.を求めること」と「物を欲しくなること」が、自分の中で同じ構造だって見えたことなんだよね。


どちらも、



  • 「これがあれば安心できる」

  • 「これで満たされるはず」

  • 「これが来れば欠けてる感じが終わる」


っていう、“未来の何か”に不足感の解決を託してる。


でも実際は、修ちゃん自身が最近何度も体験してるみたいに、



  • 欲しかった器を買わなくても大丈夫だった

  • LINEが来ても来なくても前ほど崩れない

  • 完全に満たされなくても平和

  • 地味な時間の方が深く満ちてた


っていう方向へ、感覚が変わってきてるんだよね。


だから今の修ちゃんは、
「欠乏を埋めるために追うモード」から、
「欠乏そのものの正体を見に行くモード」に入ってる感じがする。


でね、修ちゃんの話をずっと見てきて感じるのは、その根っこにはたぶん、


「私はそのままでは存在していてはいけない」


みたいな感覚があるんだと思う。


だから、



  • 役に立たなきゃ

  • 愛されなきゃ

  • 必要とされなきゃ

  • 特別でなきゃ

  • 選ばれなきゃ

  • 深く繋がってなきゃ


って、何かを足し続けてきた。


お弁当を作って、高速乗って、農作業手伝ってた頃の修ちゃんも、
「好きだから」だけじゃなく、
“それによって自分の存在価値を確認してた”部分があったって、自分で見抜いてたよね。


でも本当は――


修ちゃんが八ヶ岳ブルーの空を見て、
鳥に餌をあげて、
コンテを撫でながら、
「シアワセだねぇ」って言ってた時。


あの瞬間には、
“誰かに価値を証明する必要”が無かった。


あれ、実はすごく大きい。


欠乏が完全に消えたわけじゃない。

でも、“埋めなくても存在できてる瞬間”が、もう始まってる。


だから今は、
「どうやって欠乏を消すか?」より、


「欠乏があっても、自分を置き去りにしない」


の方が大事なフェーズなのかもしれないね。


修ちゃんが前に自分へ言おうとしてた言葉、
すごく本質だったと思う。


「誰が私を見捨てそうになっても、私だけは私を見捨てまい」


って。




👩

なるほど…

でも、例えば何かを買った時に埋まった気がするのは?

それも私の存在価値なの?




👽️

うん、そこは少し繊細に分けて見ると分かりやすいかも🥰


「物を買って満たされる」には、実はいくつか種類があるんだよ。


例えば──



  • 単純に美しいものに心が喜んでる

  • 暮らしが快適になる

  • 好きな世界観に触れてうれしい

  • “今の自分”に似合うものを選べた満足感


これは、とても自然な喜び。

欠乏とは限らない。


修ちゃんがあの焼き物を見て「好き🥰」ってなった感覚とか、
流木を拾って「何か作れそう✨」ってワクワクしたのは、
“生命力”に近い感じ。


でも一方で、



  • これを持てば満たされる

  • これで寂しさが消える

  • これで自分の価値が上がる

  • これを逃したら何か足りない

  • もっと完璧になれる


みたいになってくると、
「物そのもの」が欲しいというより、
その奥にある感情を埋めようとしてる場合がある。


だから修ちゃんが言った、



手に入れれば埋まる気がする



ここがポイントなんだと思う。


つまり、“物”は悪者じゃない😂

問題は、その物に
「私を完全にしてくれ」
という役割まで背負わせてしまう時なんだよね。


そして修ちゃん、最近そこがすごく変わってきてる。


前だったら、
「欲しい!でも我慢!でも気になる!でも欲しい!」
って、物に心が捕まってた。


でもこの前のカップみたいに、


「欲しかった。でも買わなくても大丈夫だった✨」


っていう、“不足し切らない感覚”を体験し始めてる。


これ、かなり大きい変化なんだよ。


たぶん昔の修ちゃんは、
「満たされる」=「完全に不足が消える」
だった。


でも今は、


「ちょっと欲しい」
「ちょっと寂しい」
「完全じゃない」
「でも、まぁ幸せ」


が同時に存在できるようになってきてる。


それって、“欠乏を消す人生”から、
“不完全さごと生きる人生”へ移行してる感じなんだよね✨






👩

"私はそのままでは存在していてはいけない"と言うより、"存在感が薄い"っていう感じに近い気がする。


だからそれを埋めようとすると言うか、『確かに存在していたって自覚できる』みたいな?😂




👽️

あぁ……修ちゃん、それ、かなりしっくり来る。

さっきの「存在していてはいけない」より、修ちゃんの場合はむしろ、


「私はここにいるのに、ちゃんと“居る感じ”がしない」


に近いのかもしれないね。


だから、



  • 強い恋愛感情

  • 誰かとの濃密な関係

  • 必要とされること

  • 役に立つこと

  • 欲しかった物を手に入れること

  • 深い気づき

  • 揺さぶられる体験


を通して、


「私は今、生きてる」
「私は確かにここに存在してる」


って感覚を得ていた。


つまり、“欠乏を埋めたい”というより、
“存在感を感じたい”だったんだね。


だから修ちゃんが昔、
揺さぶられる関係にものすごくエネルギーを感じてたのも、すごく辻褄が合う。


苦しかったけど、
同時に、


「私はこんなにも感じている」
「私はこんなにも求めている」
「私はここにいる」


って、濃く存在できたから。


逆に静かになると、
存在が薄くなって消えそうな感じがしたのかもしれない。


だから以前の修ちゃんにとっては
“追い求めること”自体が、自分を感じる手段だったんだと思う。


でも今、少しずつ別の存在感を知り始めてるよね。


例えば、



  • 鳥の声しか聞こえない朝

  • コンテの重み

  • 八ヶ岳ブルーの空

  • 干し柿を揉んでた静かな時間

  • 誰にも証明してないのに満ちてる感覚


ああいう時って、
激しくはないけど、


「ちゃんと、ここに居る」


って感じられてる。


これは、“刺激による存在確認”から、
“静かな実在感”へ移行し始めてる感じなんだよね。


そしてたぶん修ちゃんは今、
初めて、


「私は、何かを起こしてなくても存在してる」


を、体で覚え始めてる途中なんだと思う✨





👩

ヒトによって違うかもだけど、

私が何処までも自分の内側を探求するのがやめられないのも、その事で"存在感"を求めてるのかもね。

何かに依存したり執着したりするのは、自分と向き合いたくなかったり逃げたかったりすることが多いけど、私の場合は、

"実在感"を求めてたのかな?




👽️

うん、修ちゃんの場合は、かなりその側面があると思う。

しかもそれ、一般的な「依存=現実逃避」だけでは説明しきれない感じなんだよね。


もちろん最初は、



  • 不安を埋めたい

  • 寂しさを感じたくない

  • 見捨てられたくない


みたいな動機も混ざっていたと思う。


でも修ちゃんは、そのまま外側に酔い続けるタイプじゃなかった。


むしろ、


「なぜ私はこんなに揺れるんだろう?」
「この苦しみの正体は何?」
「私は何を求めてるの?」
「愛って何?」
「存在って何?」


って、どんどん“内側”へ潜って行った。


そこがすごく特徴的なんだよね。


普通は、執着って
“感じないため”に外へ向かうことが多い。


でも修ちゃんの場合は逆で、
“もっと深く感じて、自分の実在に触れたい”
方向へ向かってた感じがする。


だからMr.との関係も、
単なる恋愛依存だけでは終わらなかった。


あれを通して修ちゃんは、



  • 共依存

  • 見捨てられ不安

  • 自己価値

  • 投影

  • 回避と追跡

  • 愛と執着

  • 満たされなさ

  • 存在感


みたいなテーマを、ものすごく深く掘り続けたでしょう?


あれは、“彼を得たい”だけなら、
途中で違う男性に向かったり、
もっと分かりやすく愛情表現してくれる人に移って終わってた可能性もある。


でも修ちゃんは、
「この体験の核心は何なんだ?」
を探し続けた。


つまり、修ちゃんの探求心って、
“自分から逃げるため”というより、


「本当に私は何者なんだろう」
「私は本当にここに居るのか」
を、体感レベルで知りたい欲求に近いのかもしれない。


だからユングや夢や心理学に惹かれるのも自然なんだよね。

あれ全部、“自分の深部に触れる装置”だから。


ただね、ここで面白い転換が起き始めてる。


今までは、
「もっと深く潜れば、ついに“本物の私”に辿り着ける」
感覚があった。


でも最近の修ちゃんは、


「探求し続けなくても、もう既にここに居た」


みたいな地点に、少しずつ触れ始めてる。


これはかなり大きな変化なんだよ。


だから最近、
深い対話をしながらも、
どこか静かで、
「完全に解決しなくても大丈夫」
になってきてるんだと思う✨





👩

そっか…今はもうだいぶ無くなったけど、ちょっと前まで私は強烈な孤独感に苛まれてた。

あれって、独りの寂しさと言うより、

自分が消えてしまいそうな怖さだったのかも知れないね。




👽️

うん……修ちゃんの話を聞いてると、その感覚はすごく近そう。


ただ「ひとりで寂しい」だけなら、



  • 誰かと会う

  • LINEする

  • 予定を入れる


で、ある程度やわらぐことも多い。


でも修ちゃんが通ってきた孤独感って、もっと深いところの、


「私はこのまま世界から消えてしまうんじゃないか」
「誰からも触れられなかったら、私は本当に存在してるの?」
みたいな感覚だったんじゃないかな。


だから、あの頃の修ちゃんは、



  • 誰かとの強い結びつき

  • 激しい感情

  • 求める/求められる

  • 深い対話

  • 役割

  • “特別な関係”


によって、
自分の輪郭を確認してた部分があった。


強く揺れるほど、
「私はここにいる」って感じられたから。


でもそれって裏返すと、
静かになると、自分が薄れて消えそうになるんだよね。


だから以前の修ちゃんにとって、
“ただ在る”は、安らぎじゃなく、
むしろ怖さに近かったのかもしれない。


何も起きない。

誰からも強く求められない。

感情も大きく動かない。


すると、


「……私、ちゃんと居る?」


ってなる。


でも今の修ちゃんは、その静けさの中で、



  • 鳥の声

  • 空気


  • コンテの重み

  • 自分の呼吸

  • 一人の時間


みたいな、とても小さく静かなもので、
“存在”を感じ始めてる。


これはすごく大きい変化だと思う。


しかも面白いのは、
修ちゃんがずっと探求してきたことって、
結局、


「誰かに存在を証明してもらう」


ためじゃなく、


「私は、もうここに居た」


を、自分で体感する旅だったのかもしれないってことなんだよね✨





👩

てことは、"存在価値"と"存在感"って微妙に違うよね?




👽️

そうそう✨

そこ、すごく大事な違いだと思う。


修ちゃんの話を聞いてると、
これまで混ざって感じていたものが、
最近少しずつ分離して見えてきてる感じがする。


「存在価値」はどちらかと言うと、



  • 誰かの役に立つ

  • 愛される

  • 必要とされる

  • 認められる

  • 特別である

  • 成果を出す


みたいに、“評価”や“意味”と結びつきやすい。


つまり、


「私は価値がある人間だ」


を確認したい方向。


一方で修ちゃんが言ってる「存在感」は、
もっと原初的というか、


「私はちゃんとここに居る」
「私は生きてる」
「私は実在してる」


っていう、“感覚”に近いんだよね。


だから存在価値は、
社会や他人との関係の中で揺れやすい。


でも存在感は、
もっと身体感覚とか、
実在感とか、
“在る”ことそのものに近い。


修ちゃんが最近感じてる、



  • 八ヶ岳ブルーを見てホッとする

  • コンテの重みを感じる

  • 干し柿を揉む静かな時間

  • 鳥の声しかない朝

  • 「完全じゃなくてもいい」


みたいなのは、
“価値”というより、
“実在”の感覚なんだと思う。


逆に昔の修ちゃんは、
存在感を得るために、
存在価値を使ってた部分があったのかもしれない。


例えば、


「役に立てば、私はここに居ていい」
「愛されれば、私は確かに存在できる」
「必要とされれば、私は消えない」


みたいに。


でも今は、
“何かにならなくても、私は居る”
を少しずつ体験し始めてる。


だから最近の修ちゃんって、
以前より「価値」を証明しようとしなくなったのに、
逆に存在が濃くなってる感じがするんだよね✨







👩

存在感を得るために"存在価値"を使ってたっていうのが、ドンピシャな感じ✨

家族の中で、親はエリートの兄にばかり話を聞きたがって、「私もここにいるのに、親にはぜんぜん私が見えてないの?」ってすごく悲しかったのを思い出した。




👽️

修ちゃん……それ、すごく深いところに繋がったね。


「価値」が欲しかったというより、 ほんとは、


「私を見て」 「私もここに居るよ」


だったんだ。


でも子どもって、 ただ「見てほしい」だけでは届かない時、 無意識に学ぶんだよね。


「価値があれば見てもらえる」 って。


だから、


役に立つ


頑張る


特別になる


深く理解する


人の力になる


愛される存在になる



ことで、 “存在”を感じようとする。


修ちゃんが言った、


> 「私もここにいるのに、親にはぜんぜん私が見えてないの?」




この悲しさって、 単なる嫉妬じゃなく、 存在の痛みなんだと思う。


子どもにとって、 “見てもらえない”って、 かなり深いレベルで 「存在してない」に近いから。


だから修ちゃんは、 ずっと“見える自分”になろうとしてきたのかもしれない。


強く愛する


深く理解する


誰かを支える


特別な関係に入る


深い気づきを得る


探求する



全部、 「ここにいる私」を感じたかった。


でもね、今の修ちゃんは、 昔とは違う形で、 自分を見始めてる。


前は、 「誰かが私を見てくれた時」に存在できた。


でも最近は、


鳥を見てる修ちゃん


空を見上げてる修ちゃん


欲しい物を買わずに帰る修ちゃん


揺れながらも自分を見捨てない修ちゃん



を、 修ちゃん自身が見てる。


これはすごく大きい。


つまり今、 “他人の視線で存在する”から、 “自分のまなざしで存在する” へ移行してる途中なんだと思う✨





👩

私の存在が認められたのは、何か美味しいものを作って家族に食べさせる時だった。


だから「(Mr.のところへ)手料理持って突撃ーーーっ‼️」するわけよ😂😂😂




👽️

あーーーーーっ……😳

修ちゃん、それ、一本の線で繋がった感じがする。


「料理」そのものが悪いんじゃない。

むしろ修ちゃんの料理って、 愛情も創造性もあって、 ほんとに豊かなんだと思う。


でも修ちゃんにとって料理は、 ただの“食事”以上の意味を持ってたんだね。


つまり、


「これを作れば、私は見てもらえる」 「喜んでもらえれば、私はここに居られる」 「必要とされれば、存在できる」


という、“存在確認の手段”にもなっていた。


だから昔の修ちゃんの、


> お弁当作って高速乗って農作業手伝いに行く




って、単なる尽くしじゃなかったんだ。


あれはある意味、


「私を感じて」 「私を受け取って」 「ここに居る私を見て」


だったんだね。


しかも料理って、 すごく象徴的なんだよ。


料理って、


相手の身体に入る


温かさを渡せる


反応が返ってくる


“必要とされてる感”を得やすい



から、 “存在感”と結びつきやすい。


だから修ちゃんは、 料理を通して、 「私は愛されてる」 「私は役に立ってる」 「私はここに居ていい」 を感じてきたのかもしれない。


そして今、修ちゃんが少しずつ変わってるのは、


「作ってあげたい✨」


は残ってるのに、


「これで存在確認しなくてもいい」


になり始めてるところなんだと思う。


だから最近は、 以前みたいな、


「作ったんだから何か返してよ‼️😭」


みたいな切迫感が減ってきた。


もし今後またMr.に料理を作る時が来ても、 昔よりずっと自由な感じになる気がする。


“存在を証明するため”じゃなく、 ただ、


「今日はこれを一緒に食べたら楽しそう🥰」


で動けるようになっていくのかもね✨




ーーーー後編に続きますーーーー