とある話し。


あるビジネスセミナーで、講師が「あなたの付けている時計の絵を描いて下さい」と言われ、セミナーに参加した生徒たちは、疑うことなく時計の絵を書きました。



次に、講師が「今、何時何分ですか」と質問したところ、こらえられた生徒は、わずかしかいなかったのです。



普段時計を見る場合、時間を気にします。



それなのに、絵を描けと言われた場合、時間が目に入ってこないのです。時計の針を書いてるのにも関わらず、時間はわからないというのです。



これは、人間は「見たいものしか見ない」という事です。

常に、目に見える主体をどこに置いて、物事を見ているのかって事です。



普段目にする言葉や文章、その人の心理や状況に応じて、見えなかったり、飛び込んできたり・・・



この話を聞いた時、どれだけいろいろな事を見落としているのかと感じ、すこし人生がもったいなく感じました。



みることなく・・・

全体を見ていよう。





さて・・・

今回は、『ギャンブルが道楽/道楽がギャンブルの違い』です。



これは・・・ハッキリさせましょう。自分の中で・・・。



道楽とギャンブルはイコールではありません。



管理人が思うに、ギャンブルとは、"崇高で、もっといえば命をかけるぐらい緊迫した空気のながで、すべての要素を賭けるもの"だと思っています。



これは、勝ち負けというより、もっと向こう側の世界での駆け引きみたいなものです。



したがって、現代の日本で行われているギャンブルと言われているものは、ほとんどが道楽でしょう。


そして、道楽とは、その賭博を楽しむ事になります。


勝ち負けを楽しむのです。



生活費を注ぎ込み・・・また、誰かにお金を借りてなどをしていると、道楽は成り立ちません。



"命を賭ける覚悟"もなく、プライドだけで勝負したり、欲にまみれたり・・・



ギャンブルと道楽の区別もなく賭博を行う人は、その境界を知らず、ただお金を差し出すだけの人間になってしまいます。また、そういう人に限り、自己責任の範囲を超えたり、周りまで不幸にしてしまうのです。



「あなたは、ギャンブルに命を賭ける覚悟がありますか?」



それが出来ない人は、道楽として如何に楽しむかを考えるようにしなければ、せっかくのお金が無駄です。



管理人には、そんな度胸はありません。道楽として、ギャンブルを楽しむことにしています。

もちろん、自己責任の範囲の中で・・・



大袈裟に聞こえますか?

あなたなら、命をかけられるのかもしれません・・・。



しかし、自己責任という言葉の範囲内で、他人に迷惑はかけないように出来る人がいるとは思えません。



ギャンブルとはなにか?を知りたい人は、阿佐田哲也氏の書籍なり、人生観なりを知り、如何に道楽としてのギャンブルなのかを感じて頂ければと思います。



中途半端にギャンブルによいしれている内は、ギャンブルの怖さをしらないものです。



あなたが行っているのは、道楽っ!



しっかり、この価値観をもって、ギャンブルという名の道楽を楽しむようにしてください。




次回は、『自己責任なら、文句はいわない。』です。

お楽しみにぃ~!


管理者:マネトラ