「生きていた証」、「遺書」として高校生活始まって1週間生きた今日という記念にブログを書き始めようと思った
名前はまだない。
ここからは自分の価値観の話をしていくけど、
別に共感を求めたいわけじゃない
価値観は合わせにいくものではないと思うし
真似する必要もないと、僕は思っている
まず、人生の基本だけど人間はいつ死ぬか分からない
余命宣告されている人たちだって確実にその日に死ぬ訳では無いし、今生きている人だって明日死ぬ可能性は100%無いとは言いきれない
そうでしょう?
だからこそ、「遺書」というものは毎日書いて、書き続けた方がいいと思っている
別に、寂しがり屋の人は「僕を忘れないで」ってメッセージ性で書いてもいいと思うし、死後に何を残そうか人の自由だけど
僕は、「自分がこの世に生きていた証」を残したい
別に皆から忘れられてもいいから僕が此処にいたという証 記録 当時の感情 を残していたい
僕は命なんて皆平等に軽いし、生きることが義務だとは思ってない。
親が勝手に僕を産んだだけで 僕はこの世に生まれてきたくはなかった。
生まれてこなければ「無」でいられたのに
親の性欲が僕を作った
僕たちはこの世に"生まれさせられた'' んだから
死ぬタイミングは自分で決めてもいいと思うんだよね。
もし死ぬのが親より早いタイミングだったとして
「親不孝者」だと呼ばれるのならば
自分の人生の最期を決めることさえも許されない僕達は何なんだろうか、
下僕だろうか。家畜だろうか。
(人生の最期''さえ''ということについてはいつか
ブログで書きたい)
子供のすることを応援できない親は
「子不孝者」と呼ばれるべきだと僕は思う
もちろん犯罪とか応援する親はさすがにいないと思うけど。
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初めてのブログだから色々と脱線してしまった
面白くはなかったかもしれない。
いや、でもこっちは面白さ求めてねーから。
やるからにはガチでする
嘘はつかない
こんな僕でも こんな価値観でも
僕を認めてくれる人がいたら
それ以上嬉しいことはないだろう。
